日々のこと

以前の日記
染や織や
艸soh の日々のこと

2004年03月01日(月)
弥生

3月です。なのに明日の夜は雪だるまマーク。さむいです。世知辛いニュースも多く、かの教団の判決には釈然としない気持ちが残り、鳥インフルエンザはとうとう近くまでやってきました。薄々は感じておりましたが、日本人の「モラル」とか「道徳」とかいったいどこに行ってしまったのか、、と感じるばかりです。建前は立派でもいざ自分の身に降り掛かった時、目先の事や、ごく狭い自分の周りの事しか考えない人間のなんと多い事か。本音と建前なんて言葉が平気で使われるようなこの国では当たり前の事なんだろうか。

昨日見たTV。古い番組の再放送だったのだけど、インド各地の聖地を旅していた学者?。ベナレス、ブッタの生地、ガンジス川の沐浴。そして最後を迎えた人々は、また再びこの河に戻り最期を遂げると、流れる死体を獣がくらう様を見ながら感動的な解説を加えながら、誇らしげにこういった「私は無宗教ですがね」。。。。だからそれがどうなんだい。と思った。

宗教の事を、ずうーっと考えてきた。誰も何も教えてはくれなかったから、自分で探すしか無かった。立派なお寺がたくさん有る国なのに、どう教えを請えば良いのか、さっぱり解らなかった。その頃住んでいたアパートの管理人さんは有る宗教の熱心な信者さんで、ビデオをたくさん見せてくれた。一糸乱れぬマスゲームに歓声を上げる人人。その様子は、今頻繁に話題に上るかの国のそれとほとんど同では無いかなと、今思えばそんな気がして仕方が無い。子供のころからそういう環境で育ってきた小学生の子が、面白いからと漫画になった教本を見せてくれた。ふ〜ん、、こんなな風に教えてもらうと解りやすいなあと感心した。会話の中でふと私がキリスト教のことを言いかけると、とたんに親子の顔色が変わった。無邪気なその子の口から、大人と一緒にキリスト教をののしることばを聞いた。「洗脳」という言葉の意味が解ったような気がした。

そのアパートのそばには、キリスト教の教えを新しい解釈で説いていたある教会の関係の、学生ばかりの研究会が有って、此処に入った友人を救い出すのだと言う人にくっついて試しに教義を聞きに行った。そこには多くの大学生たちが居た。多くは近くの国立大の学生達だった。そこのリーダー的存在だった人は、星祭りで有名な教団の元幹部で、そこの管長から一目置かれていた人物なんだと、誰かがかわりに自慢げに教えてくれた。岩国の近くの島で行われたセミナーにも参加した。この同じ教会の、一般の人が入る、近くの支部に行くと、何年も合っていなかった高校の後輩に偶然に出会った。「愛」をさんざん解かれた後で出会ったなつかしい人との出会いは、何か格別な運命のような物さえ感じたりした。結局てっぺんに「教祖様」というような者が存在する教義の内容には全く信じる事など出来ず、岩国のセミナーでは言う事を聞かない異端児となり、結局友人も連れ出せないままで、感動的な出会いをした後輩は何処かの合同結婚式にでも行ってしまったのか音信不通となる。

そんなこんなで、仕事にも恋にも悩み多き日々を送っているところに、なつかしい同級生から自己啓発セミナーを受けてみないかとの誘いが有った。費用は私が全部出すからと、ポンと10万円もの大金を出してくれた。あまりのしつこさに(ごめん、読んでいるかもしれないな、、でも正直な気持ち)試しに行ってみようとホイホイ出かけた。内容は、、、(よく最近大企業が社員教育でやっているようなものとちょっと似ている。かな)どうせ参加したのだから積極的にやってみようかと思い、リーダーに立候補した。そのとき、リーダーの私についてきてくれた人とはしばらく交友があった。此処でも突き詰めるところは「愛」だった。でも結局次のワンランク上のお高い金額のセミナーには参加しないで終わった。ただ、これはこれで精神的に貴重な体験となった。

皆有る時期、むしょうに自分探しをしてみたくなる。けれども、身近な大人たちは肝心要の事を何にも教えてはくれなかったし、本当の事を誰もちゃんと教えてはくれなかった。だから自分で探しに行くしか無かった。危険は常につきまとっていたけれど、世の中は今よりもずっと安全だったのかもしれない。今はと言えば、そのころはまだちょっぴり残っていた「道徳」や「最低のモラル」さへも見つからない。

この前フランスで「スカーフ論争」がおこっていた。その時初めて知ったのはフランスでは「政教分離」の体制を取っているが教育の現場では各宗教についても学ぶ機会があるのだとの事。日本ではいっさい教えないから、家に神棚やお仏壇が有ってもほとんどその意味を知らない。この前若い子に「お寺って何が祭ってあるの?神社は、神様?」なんて聞かれたりする。これは本当の話だ。そういう私も、各行事の由来や、意味を正しく人に説明するのにはぜんぜん自信が無い。お経はサンスクリット語の日本語の当て字で、インドの人に取っては生の「ことば」でも、日本人の私にはほとんど呪文なのだから。。。義務教育の間に各宗教の教義や哲学の大まかな筋道を教えるわけにはいかないのだろうかと思う。この国では宗教を選ぶ自由と選ばない自由が有る。何も知らなければ本当の自由などあり得ないと思うのだけれど。

今私は「無宗教者」では無いと思う。けれど「真理」はただ一つではないと思っている。

写真の事をかき忘れていた。最近暖簾を縫うのは手縫い。縫ってくれる手が無いのも理由なんだけれど、手縫いは後で容易くほどけるので、染め直して縫い直したり、古くなって形を変える時布をいためないですむ。やはり手だな。。なんだかんだと考えていても、今私に出来るのは、ちくちくとこの針を動かしながら、早く仕上げて届けなくっちゃ。ああもうすぐお彼岸だな。おかきは間に合うだろうか。庭の倒木を片付けて掃除をしなくては、、、もう葉っぱでは染められないんだろうなあ。と、こんな具合に右往左往している毎日だ。



2004年03月02日(火)
梅も少し


梅も少し咲き始め、うぐいすも練習を始めたとこ。寒い日でしたがもうじきです。



2004年03月03日(水)
姫こぶし


空気はとてもつけたいけれど、仕事部屋のすぐ近くでうぐいすの声が聞こえてきた。窓が無いのが残念だわ。きっとイチョウの枝にとまって練習をしているのだろう。携帯で音声が取れるかなあ。。と思って階段を下りたら近くの友達が来ていた。ちょっと庭に出て、姫こぶしのつぼみを見に行く。薄日を受けて、ぬくぬくしている。



2004年03月03日(水)
綿の種


うぐいすの声と一緒にやってきた友人は、この辺でも綿が作れる事を始めに教えてくれた人。彼女のお姑さんが以前楽しみで作っていたそうだ。シャンティーのママさんが送ってくださった綿の種を見せてあげて、少しわけてあげた。天候不順の昨年の綿もなんとか実を結んだそうだから、今年うまく行けば良いなあ。

(写真取り替えました。やはりカメラの方が色が良いです)



2004年03月04日(木)
鳥殺し


朝は真っ白で驚いて目が覚めた。一時、もう消えるかと思ったら、一日中吹雪だった。うぐいすの声も聞こえない一日、風の音ばかり。



2004年03月06日(土)
吹雪の日


大音響で音楽をならしたって、聞こえない。少し織をする。



2004年03月06日(土)
吹雪の日

小さい暖簾も仕上げよう。
期限の迫った、事務もすこし。



2004年03月07日(日)
再び雪景色

甲府では明日はマイナス5度になるそうだが、こちらもかなあ。。また水道をあけて回らなくてはいけない。

小さい暖簾は、こうしてみると描き過ぎだ。つい書きすぎてしまう癖は、まだ抜けていない。たった一本のか細い線でも「十分」なはず。十付け加えて、ますます不安になる。言葉と同じかな。。。「この一本」が描けるまでに、後どれくらいかかるだろう。

何時かくる、来世の為に、今を生きるのではないのだと、そう思っています。今は今でしかないのだと、そう感じています。もしも私が罪深い人生を送ってきた報いを来世に受けるのであれば、それを受け入れられるような自分でありたいと、何かにつけて思うのですが、果たしてどうなるものか。じたばたと無様な姿をさらすのかもしれません。

ワタシタチハダレモヒトリジャナイ
アリノママデズットアイサレテイル

どこからか聞こえてくるはやりの歌の一言に
支えられたりしています。



2004年03月08日(月)
プレゼント


昨日花を散歩させていて、思いっきり雪玉を投げたら、ぐいっと引っ張られ見事にこけた。ふと見ると雲さんが寿司桶を2個持って立ってた。義母のお誕生日をすっかり忘れていた。夜中3点セットのプレゼントを作った。遅ればせながら、おめでとう。形が卒業証書みたいだわ。

卒業と言えば、赤崎小学校の最後の卒業式に、招待されているけれど、残念ながらお彼岸の真っ最中で行けそうにない。だから今、みんなにおめでとう。最初で最後に成ってしまったけれど、ほんとに楽しく染め物を学んでくれてありがとう。その気持ち、ずっと忘れないでいてください。



2004年03月08日(月)
雪の田んぼ


よく晴れた昼間。いつものようにリードを斜めにかけて田んぼのあぜ道を行く。今日はちょっと気をつけて雪だまを投げる。何だってこんなにはしゃぐのかっていうほど、雪だまを投げろとまとわり付く。6mのリードは、足にぐるぐる巻きになる。あぜ道の真ん中まで行くと、よく晴れた空の下、田んぼの雪は一段と真白だ。



2004年03月08日(月)
そら


レンズが春の日差しを写した。真白き雪はほろほろと指先で解ける。素手でひとつかみそらに投げる。ああ、、こんな日もあるのだ。すかさず飛び上がり口に含む花に、もうひとつ、そらひとつ。



2004年03月09日(火)



土が有り、木が有り、草があり、空気が有り、光が有り、水が有り、人が居る。その側に、ともに昔からそこに有ったような。私の作りたかったものはそういうものなのかもしれない。



2004年03月10日(水)
もう一枚

「箕」(家では「かぁ〜みぃ」と言う)はゴミやくずを選り分ける道具。この形、かなり気に入っている。。で、もう一枚。



2004年03月11日(木)
暖簾も上がり

別注暖簾もやっとこさ上がって、受け取った方から喜びのお便りを頂き、まずは一安心。ちょうど苔玉の下に敷いているのは、これと同じ柄の素材違い。

風、だな、風風、よし風を起こそう!そういえば何かの占いの本によると、私は「風の宮」でしかも「台風」(突風だったかもしれない。ようするに突如として騒ぎ立てる性格なんだな。これはかなり当っているかも)なのだそうだ。たまには占いも信じたりする。



2004年03月11日(木)
雪が溶けて


蕗の薹と、蕗の葉と、水仙のつぼみが一緒に顔を出した。わさびも小さい葉っぱが沢山出てた。一枚ちぎって口に入れる。シャキシャキかむとぴりりと辛い。



2004年03月11日(木)
黄連


斜面の、木の根の陰に、黄連が咲いていた。

文献によると、葉に先立ち、白い可憐な花を、早春に咲かせる。地下茎を薬用。染色に用いる。とある。多くの古い文献に染色に用いたと言う記述が多く残されている。参道の途中の庭木の下に生えているのは、その昔、僧侶の衣を染めたのだろか。媒染なしでも強い黄色を染めるらしい。可憐な小さな花を咲かせるこの草を引き抜くのが忍びなくて、一度も染めたことは無いけれど、今年は種を効率よく蒔くことにして、一度染めてみようか。



2004年03月13日(土)
透明な人

本堂の周りをぐるりと回ると何時もこうして下駄が歩いている。引き戸も締め切りだし、この下駄はもう誰もはかないはずなんだが、気がつけばそろえておくのに。なぜかこうやって大またに歩いている。。。。おおよそ見当は付いているのだけど、でも、もしかしてなぁなんて思うこともある。

怖いと思えば怖いし、愉快と思えば愉快。人恋しいときにはなぐさめにもなるもんだ。。。とおもうのですが。ねえキタロウ。



2004年03月14日(日)
拾得物


よいお天気だったので、田井の浜へ。ゆるりとした凪ぎ。もう初夏のにおいがした。



2004年03月16日(火)
近くで見ると


皆が皆、なんと美しく完成されている事か。よおく見る事は大事ね。

ももちどりに行くと、まーなさんの一句。私もなんだかうれしくなり。



2004年03月17日(水)
藤の実

まるでボタンみたいだ。墓掃除の最中落ち葉の中、おかあさんが見つけてくれた。昔は、おはじきや、お手玉に入れて遊んだそうだ。実家の父にきくともちろん知っていた。藤の実の形、別に知っていなくてもどうってこと無い。でも一世代、二世代と、知らない事が増えて行くのはなんだかさみしい。父に「寺田寅彦って知っている?」と聞くとこう教えてくれた。「雪の結晶の事で、世界的に有名な学者さんだ。随筆も多く書いてるなぁ。静かな学者さんだけど、たくさんの科学、物理学者達に大きな影響を与えた人物だった」

随筆の「藤の実」や「糸車」の話はしなかったけれどね、なんだか同じ事、考えているような気がした。



2004年03月18日(木)
樟の木

木の皮を剥いて保存しておこうと、我流で剥き始めました。なんとか有るもので不器用ながらもこれが2本目。材と皮の境めでつるりと剥けるものだと思っていましたが、そう容易には行きません。それでも落ちた木屑をかき集めるとそこそこの量に。山崎氏の草木染め図鑑によると、「樟の木は古くから樹皮で染めたと有るが、そうそう樹皮を採取するのは困難なので、葉っぱで試すとこれもまた良く染まった。」というような事が書かれている。折れ枝を前に、そんな大切な樹皮を放っておくわけにはいかない。なんとか保存しておこうと、ちょっとがんばっている。

(よく漢方などに使うため様々な樹木の皮を生きた木のまま剥ぐ事が有りますが、生皮を手当たり次第に剥ぐと、樹木は死んでしまいます。)



2004年03月18日(木)



皮を剥ぎ残したところから、色が酸化して変わってゆく。この色によく似た色が染まる。皮を剥ぐ間中辺り一面に良い香りが漂っていたらしい。夜には集めた皮を玄関に入れておいた。自然の芳香剤。



2004年03月19日(金)



秋に切り倒した杉はどうだろう。皮はまだ生きているだろうか。杉の皮は生のときでないと染まりが悪いと言われている。少し剥いで見る。はっとするほどの赤い色が見えてくる。



2004年03月23日(火)
節目

お彼岸も今日で終わり。それなりに忙しくは有ったけれど、数日間の日記が空いてしまった。「書けなくなる」状態は久しぶりだ。何も無かった訳ではない。心にずんずんきていたものを、言葉や文章に書けるほど、自分の中で消化しきれなかったのだと思う。何か大きな「節目」を迎えているのかも知れないと、うすうすは感じながらも。

昨日は、京都の大学の「環境社会学科」で学ぶ、二十歳になったばかりの学生さんが訪ねてこられた。彼女もまた浜坂町の出身者で、染織のことを検索していてたまたまわたしのホームページを見つけてくださった。生活の中での環境を考えるというテーマの中で、アジアの手工芸に出会い、染織について調べてみようと思ったのだそうだ。たまたま同郷で、こんなことをしている私のことを知って、熱い熱いメールを下さった。受け取った私もとてもうれしかった。実のところ、ふるさとに帰って、もう九年もになるけれど、私が染め物をしていることを知らない人がほとんどなのだ。一昨年の展示会は、隣のまた隣の町での開催だったせいで、知り合いからは「なんで町内でしないんだ」と少々不評だった。両親も見にきてくれなかったしね。そんなことが有って、今年の展示会をこの町で行おうと決めた。染めたもの織ったものを見ていただくのはもちろんだけど、どちらかと言うと、「私此処でこんなことやっています」という意味合いの方が強い。。かな。そのためか、何を、どう見ていただくかを頭の中で考え始めると、何ともまとまりがつかなくなり、此処数日、頭の中でなにかが堂々巡りをしていた。

「染めた物も見せてください」という彼女のご要望にお応えして、久しぶりに一昨年に発表した、藍染めのタペストリーを引っ張り出した。ついでに模様替えをして広々とした仕事場の正面に掛けてみた。この前染めた他のあれやこれやもぐるりを囲むように掛けてみる。私は何をしてきて、これから何がしたいんだろう。。そんなことを考えていた。ぐるりを飽きること無く見渡しながら、わたしは私のまだ半分も生きていない初対面の彼女とともに、様々な出来事や思いを、とりとめも無く、でもしっかりとつながる何かを感じながら、三時間半、ともに過ごせたことをとても感謝している。同時に、今身の回りを取り囲む様々な迷いが何か、違う形になるかもしれないという予感をすこしだけど感じていた。



2004年03月23日(火)
文様


ちょっと心を鎮めよう。そんなときは、貝を見る。小さいので、近づいて、近くに近くに、もっと近づきよく見る。

自然の作り出す文様というのは、一定のリズムが有って、でも一つとして同じ物が無く、すばらしく美しい。ふと朝鮮半島で焼かれた器の肌を思い出す。遥か昔、今の私と同じように、目を凝らし、近づき、もっとよく見て、同じように目を見張りながら、美しいと言ったであろう誰かのことを思う。

またわくわくしてきた。



2004年03月25日(木)
お出かけ

煮詰まって出かけると言えば決まって京都。そうMickのままさんとKimさんに逢いに行くのだ。そのため「京都に、、」「はい、いってらしゃい」で済んでしまう。お彼岸中に実家のお墓にお参りできなかったので、午後お墓参りをしてから酒の肴に一夜干しするめとカレイを買い(生きのいいモサエビが有ったのでちょっと追加して)出発したのは午後4時。今回はちょうどこの日の朝、近くのおばさんから蔵から出したての、完全な形の糸車を頂いたので午前中磨きをかけて、その調整もかねて機屋さんへ行く目的も有った。

着いたらもう21時を回っていたので、今回は木屋町のお店には行けなかったけれど、ままさんを待ちながらKimさんといろんな話をした。早速モサエビを塩焼きにしてくれて、あーだこーだなにがどーしたなどと、またしても取り留めなく。。これが良いんだなぁ。1時近くになってままさんもご帰還。で、またまたアーダコーだが始まる。次の朝、機屋さんとの約束が9時半なのでそういえば前の日もほとんど寝てなかった私を気遣い、寝床を用意してくださった。おまけに遅くまで仕事をしていたのに、道案内に一緒に行ってくれる事になる。有り難や。。。機やさんの高橋さんはすぐに見つかって、またそこの奥さんもご主人も親切な方達で、がたの来ていた糸車を熱心に見てくださる。気さくな奥様が入れてくださった暖かいお茶を頂いている間に、ご主人がきっちりと調整してくださった。感謝感謝。

糸車をしっかりシートベルトで固定して機屋さんを後に。帰り道だからと、ままさんのお友達の「きものであそぼ」の遠藤瓔子さんのお店に行く。多分定休日だけど、場所だけ教えてあげるからと。。。やはりお休みでした。また、今度いきましょうと約束して再び山科へ帰宅。お昼にすき焼きをごちそうになり、お昼ねして(本当に牛になりそうだ)4時前に出発。ちょっと以前住んでいた、左京区に行き、なじみの喫茶店にご挨拶。此処にもずいぶんお世話になった。学生時代のアルバイト先で、社会人になって友禅の仕事をアパートでしていた頃も貧乏で、よくアルバイトをさせてもらった。その頃、喫茶店の奥さんが身重で、ちょうど仕事になれている私を当てにしてくださって持ちつ持たれつと言ったとこかな。もうそのおじょうちゃんは二十歳になったのだと、マスターに聞いた。早いもんだなあと、今更びっくりする。だって自分は未だに学生時代の気持ちのままなのだから。何年も毎日飲んでいた珈琲の味は未だに忘れられなくて、今日もまたしこたま買い込む。マスターよりも長い付き合いで、苦しいときを共に乗り切った「同士」のような奥さんとは会えなかったけれど、また来ます、奥さんによろしくと言い残して、ようやく故郷への帰路についた。

積み重ねた年月をしみじみと想いかえしながら、久しぶりにたくさんの学生達の行き交う姿を眺めていた。妙に気持ちがほっこりしてくるのは、なんだろう。あるがままで良いのだな。。。と言う事だけは、解った気がする。



2004年03月27日(土)
庭仕事は続く


木の皮むきは、まだ終わらないけれど、雪が後、畳一条分くらいに溶けてしまった庭は、見るも無惨な姿をさらしていて、さすがの私もとても見て見ぬ振りは出来なくなってしまった。ちょうど電動のチェンソー(オイルのは危ないので使わせてもらえない)で庭中の落ちた大きな枝を切り刻んで、焚き物を作りやすいように小枝と分けておく。今年の焚き物はもう切り出さなくても良いくらい有る。庭のそこここに、春の芽吹きを見つける。大きな枝の下敷きになりながらにょきにょきと、赤い芽のギボシはまるで地中の怪獣の爪のようだ。日陰の実山椒も小さな芽を膨らませて苔の生える斜面には「文福茶釜」の紫の花。大木の落下をもろに受けながらも、八重の山吹は柔らかい緑の葉を出し始めている。庭の桜ももう何時咲いても良いくらい膨らんでいる。いっせいに春ですか。。



2004年03月28日(日)
紡錘の取り付けと「はやお」

本当のところ、京都の機やさんへは、この紡錘の取り付けと、車とコマをつなぐ紐の「はやお」を取り替えては頂けない物かと思い行ったのだが、残念ながらこの部分だけは自分でするしかない物のようで、いい加減に取り付けたひもも全部取り外した物だからもう一度自分できっちり調整せねばならない。構造の不具合だけはくさびを取り替えていただきぶれも無くなったので、あと紡錘の調整さへうまく行けば完璧だ。

京都から帰って早速シュロ縄(竹の皮が良いそうなのだが、これは「なう」ことが出来なくて断念)を用意して、こんどはぶれが起こらないようにと、いろいろ工夫しながら形作る。糸車によってひもを通す穴の位置が違うので、紡錘が一番いい位置に来るようにそれぞれで止め方を変えたりしながらなんとか形にして行った。出来た紡錘を早速回すとぶんぶんと今まで聞いた事がないほどいい音を出してしかも安定した回転に、カブラ玉も固くかっちりとまく事が出来た。こんなうれしい事は無い、自分で出来たのだ。これで、どんな糸車が手に入っても自分で調整が出来る。大きく見る

「はやお」の方はこれで良いと言ってくださったので安心して、新たに手に入れた方の糸車のはやおを作る。30番手の手縫い糸、車とコマをつなぐ円周+20cmを35往復(教わったのは20番手で25往復)これを片撚りにして、一方はタマ止め。一方はわっかの中にタマ止めをはめ込み車に固定する。「はやお」をわざわざ手作りする訳は、微妙な柔らかい伸縮が得られるからだ。凧糸では伸びが無いし、ゴムでは伸縮が強すぎるのだろう。こういうことってとても大事。改めて伝承館で教わった事の重要さを思う。

昨日は庭仕事の合間に、玄関に置いておいた糸車を時々回していた。うれしくて仕方が無いのだ。あたたかくなったらひなたぼっこをしながら、糸紡ぎをしよう。



2004年03月30日(火)
さくらさく


少し早いきがする。まだ4月には一日残っているのに。日差しを求めて何でも高くのびる木々。この庭の桜も一番高いところの枝が真っ先に、花を咲かせた。



2004年03月30日(火)
あめに濡れて

花が咲くとかくれて見えなくなってしまう枝。今雨に濡れて鈍く光っている。「磨けば光る玉の肌」と、そんな感じに、所々苔や汚れの間に赤みを帯びたつやを見つける。樹皮が気になって仕方が無い。後ろの高いところの枝が雪で中途半端に折れてぶら下がっている。それでも莟がたくさん付いていて、このまま咲きそうだ。



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