日々のこと

2003年01月01日(水)
迎春2003

あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしく
おつきあしください。

床の間の飾り付けの様子です。



2003年01月02日(木)
踊り松と椿


床の間の生け花です。
今年は割と質素に。。
花器はしょうゆ入れ
漬け物小屋に醤油樽と一緒に
置いてありました

玄関にはうすばたに、
大王松と南天と白小菊



2003年01月03日(金)
南天の実


玄関の下駄箱上
風で落ちた南天の実をひろって苔玉に添えてみた
南天を飾るととたんにお正月らしくなる



2003年01月03日(金)
干支の色紙


印刷ものですが今年の色紙


枯木に花開く壮沃の雪
寒巌に春至る梵園の梅
山河は総て遮明の澤に浴す
祥雲瑞藹  曳得し来る
昭和辛未歳首(昭和6年元旦)

【作者】天龍寺派管長 関精拙。京都 臨済宗 天龍寺第二四一代管長。明治十年兵庫県美方郡浜坂町生まれ。諱は元浄。書画に巧みなり。昭和二十年歿。 六十九才。
【訳】昨年末来からさかんに降りそそいでいる雪は、庭の枯木に花が咲いたように見える。真冬の厳しい寒さの中に有っても、寺の庭(梵園)の梅は早や春のきざしが見えて来て、蕾が大きくふくらんで来ているではないか。見はるかす望遠の山河(大自然)は、雪のため空は低くたれ込み、明かりがさえぎられすっぽりと沈んでいる。
 昭和六年と言えば、現在の社会状況と同じく、世界恐慌の嵐に吹き捲くられ日本も大不況の真只中にあえいでいました。天龍寺派管長の職に有って、多くの国民信者の崇敬と信頼を集めていた筆者、関精拙も新しい未歳を迎えるにあたって、干支の羊がきっと、祥雲をひきよせて、暗い不況の気を払い、辺り一面に、瑞気をいっぱいにみなぎらせてくれるであろうと期待を込め、作詩創画し、筆をふるったのです。まことにありがたい新春にふさわしい画賛です。
 
 描かれた羊の絵は、人と抗わず、何事に付けてもおごそかに、うやうやしく、優しく行動するといった気品が有って、思慮深さの溢れている様子をよくとらえています。そして、その静かな羊の性質の中には、いざ重大なことに対処する時には、決断と執念を持って事にあたると言う忍耐と芯の強さを、この絵の羊は秘めています。まことに苦しいこの不況に喘ぐ現状の打開に敢然と行動する進取の気性が表現されています。   
 
 筆者、関精拙は画家では有りませんが、これだけ羊の性質をつかみ取り絵に画けるのは、若い時から厳しい自他の修行に耐えて辛抱して来た禅僧としての体験があって、物の本質をとらえる事が出来るのだと思われるのです。詩作のすばらしさ、雄渾な墨痕の鮮やかさ、絵の迫真さ。三味一体、精拙老師の心のこもった作品です。
(解説文 転記)



2003年01月04日(土)
お札配り

除夜の鐘を撞きはじめた頃の本堂。

今日は、お札配り1日め。午前中はめったに無い上天気。都合によりお手伝いは午後からになり一人で田井,指杭を回る。せわしなく回っていた時は気が付かなかったけど、様々な物が新鮮に目に飛び込んで来た。古いほこらとか、民家に隣接する美しい竹やぶとか、古い井戸の痕とか、手入れされた梅の畑。何十年もそこに有る古い納屋の中の使われなくなった農機具。山肌に流れる山の水でふんわり育った苔。車の入れない細い路地の石段と、その脇で発砲スチロールの箱で育てられている松の苗木。この道はどんな風に道路と続いてたかもよく覚えていなかったけど今日初めて気付いた。此処で育った人なら目をつむっていても絵に描ける当たり前の景色でも、たった7年の暮らしの中でほんの数回しか歩いたことの無い私の目に、この村の風景はまるで旅の風景に出会った時の様なそんな気持ちにさせてくれた。何年か前父の選挙の時一緒に多くの村を回ったことがある。同じ町でも知らない所の多い私にとっては、まるで知らない土地に行った時の様な感覚だったけれど、村々の隅々まで知り尽くした父の後ろを歩きながら、此処がこの自然が本当にすきなんだなと思った。そんな中、どこかで拾った栃の実を二つ、うれしそうに私にくれた日のことをなぜか今日、思い出した。



2003年01月08日(水)
ぽっかり


雪かきと、お札配りと、何十年ぶりに持ったボウリングのたまに、運動不足のからだの節々は悲鳴を上げていましたが、今日からは久々の休息。。。ポッカリと、頭も体もまっしろです。私の書き初めはこれ。かな。。。きょうはこんなぐあいです。



2003年01月09日(木)
ふゆ超え

大雪のあとの良く晴れた日は、空気がすんでいて、その上真っ白な雪に反射した光が眩しくてめがいたくなるほどです。葉っぱが落ちた桑の木に何やらぶら下がっておりました。みの虫。。じゃないな、白い薄い膜に包まれた、さなぎか?(さなぎって冬を越すのか?)細い糸が小枝にしっかりまとわりついて真っ白な雪を背景にゆらゆらゆれています。大きく見る



2003年01月09日(木)
その横の梅の木にも

種類の違うさなぎがぷらり。(さなぎなのか?)もう今にも咲き始めそうに膨らんだ蕾の横に、薄茶色の籠の様な物が。これがまた良く出来ている。からっぽになったこれを時々見かけるのだけど、本当に籠のようだ。中にはやはり白い物でくるまれたひとまわりちいさな物体がはいっていた。大きく見てみる?



2003年01月12日(日)
ふん

染屋織屋の、目次のページに書いてある、「非榊の木のまわりの群青色」って言うのは、この、しゃしんです。非榊(この地方は、せんだらと言います)の実を、鳥がたべにくるんです。そして雪の上にあちこちふんを落としていく。ふんといっても、殆どそのままに近い感じです。で、白い雪のあちこちにインクを落とした様な青い色がにじんでいるんです。

昨日から喉が痛くて、いたくて。。。いつもは珈琲なのに、今日は珍しく紅茶ミルクに金柑の蜂蜜漬けの蜜入りを。。。もう寝ましょう。



2003年01月12日(日)
ふんと思い込んでいたけれど。。

あれは、実を食べた鳥が、「ぺぺっつ」と種を吐き出したんじゃないだろうか?。。。ではおやすみなさい。



2003年01月15日(水)
冬の日


ストーブを

がんがん焚きながら

去年の春のことを

思い出している。

そこで今日はおしまい



2003年01月17日(金)
病院へ

今日は、実家の母を連れて鳥取の病院へ。地元の総合病院で行った白内障の手術が思わしくなく、殆ど見えない状態になったことと、長年の持病の膝の変形性関節症がもう限界で、手術をすることに。車の運転は和尚さんに任せて、でも車いすでの院内の移動の手助けはしなくっちゃと大きなマスクをしてどっちが患者か解らない風貌で病院へ。母はまたはじめから病状を説明する事で頭がいっぱいらしい。ちょっと不安げ。良い先生だったら良いのにと思っていたら順番がやって来た。「何年前から?」と聞きはじめる先生に悪くなった当初のことからはなそうとする母にもう一度「何年前から!!?」と荒々しく聞き直す医者。おいおいはじめっからそれは無いでしょう。あなたと母は、初対面。確かにお年寄りは必要の無いことまでしゃべり過ぎるかもしれないけれど、ただ、初対面の先生に症状をよく知っておいた欲しかっただけなのにね。お昼前だったからかなあ。いらいらしてた医者。

以前私も受付終了間際にねんざをして飛び込んだ町医者に、「骨は折れていない、湿布して欲しかったらするけど!」といわれたことがあった。タマタマちょっと不器用な看護婦さんで包帯が上手く巻けない。医者は私の前で看護婦をののしった。

一度診察室をでた母が、手術をするのはあの先生とは限らないからと自分に言い聞かせてる。でも患者は医者を選べない。案の定、手術の日はその先生の担当日になった。



2003年01月18日(土)
車いす


病院での母の乗った車いすの光景を思い出しながら、少し前に一緒に行った美術館での出来事を思い出した。

駐車場から入り口までの距離がかなり有るので車のそばまで車いすを持って来て受付に。車いすの母を見て親切な受付の男性が障害者手帳を見せて下さいと言う。足が悪くて長い距離はいたくて歩けないが、母は未だ障害者ではない。「そうではないのですが、母は足が痛くて。。」と私、すかさず母が「障害者じゃないんですよすいません。」と。受付の男性は少し済まなさそうな顔をしてどうぞこちらからとうながした。その時の母の表情がとても印象的で。今でも思い出す。本当は人前で車いすになんて乗りたくないんだよね。「足は痛いけどまだまだ大丈夫。ただ此処は少し足場が悪いから乗っているだけ」という心の声が聞こえた。

中に入り高村光太郎とちえ子展を見て、喫茶室で珈琲をいただいていた。そこは受付のすぐ裏で、その受付に座っていた職員の男性がみえた。そこで私ははっとしてしばらく動けなくなった。受付の男性職員が座っていたのは車いすだったからだ。ちょっと前の受付でのやり取りを思い出した。私の言葉そして母の表情。それを見て少し済まなさそうな顔をした彼。ふとその人は器用に車いすをくるりと回してこちらの方に向かってきた、声をかけたい様な気持ちになったがなんと声をかけて良いか解らないまま彼を見て軽い会釈をした私。彼も、少しだけお返ししながら無言のまま私たちの横を滑るように通り抜けていった。車いすとは思えないほど素早い身のこなし。一瞬見えた彼の表情は、どこか誇らしげだった。



2003年01月19日(日)
私の失敗

医療の話をもう一つ。
近ごろの医療の進歩は目覚しく、クローン人間まで作ってしまうほどの世の中に有って、一番遅れているのが医療に携わる医師と医療における、モラルとシステムの問題だとおもう。都会と地方の医療格差を無くすためには、病院同士の横のつながりは必要不可欠で、それは医療のみならず地方自治体同士のつながりにおいても同じことが言える。そして、医療は絶対に営利目的のために存在してはならないと言うことだ。

以下は、医師と医療を信じ過ぎた私の失敗談。
私は何年か前に蝋で大火傷を負って、地元の総合病院に駆け込みました。それはかなりひどい状態で誰が見ても手術が必要だったのですが、地元の病院には皮膚科が無く外科にかかりました。医師は今はガーゼ交換に通いなさいとおっしゃいましたので、私は必要ならばすぐに鳥取の皮膚科の有る病院に紹介して下さいと念押ししました。しかしいっこうに紹介してくれる気配がありません。その間、私の火傷を見にほかの地域の診療所の医師が(インターンか?)数人でやって来たり、写真を撮ったりするんです。とにかく毎日痛みとの戦いでした。座薬と化膿止めと毎日のガーゼ交換。医師は何度か「きれいになったねぇ」と言うのだけどわたしは?。。でも未だその時は医者の言うことを信じていました。が、やはり不安になり何度か「そろそろ、皮膚科の総合病院にいった方が良いのでは?」と訪ねるのですが、未だ時期ではないと聞いて下さいませんでした。毎日の病院通いが2ヶ月経った頃、もう毎日でなくても良いよと、しかも、もうすることは無いともとれる言葉を、医師の口から聞いた時は、頭がくらっとしてしまいました。その時私の右手は、親指と人さし指がいっぱい開いて40度。手の甲の3分の1はかたく盛り上がり手首から15cmのあいだに同じように盛り上がりが有りました。

100%医師の言葉を信じていた私を悔やみながら、ようやく行った皮膚科の医師は、こういいました。「これはひどい状態ですね。あなたの様な深い火傷の場合、2週間めに皮膚移植の手術をするかどうかの判断をくだすんです。そうすれば、もう少しきれいに直っていたでしょう。潰瘍が進み盛り上がることも防げたでしょうが。。それにしても、あなたもっと自分の体を大事にしなさい」と。すぐに手術の段取りに入り、私は自分のお尻の皮を移植していただくことに。ユーモアのある穏やかな先生でした。

退院して最後の通院の時私は先生に、「外科の医師がもっと早くにこちらに紹介して下さればこんなことにならなかったのですね?」と答えを求めると「うーんそうとも言えなくはないですが。。でもね、一番だいじなことは、(その医師の非を追求することではなく)こんな火傷を負った自分の行動に気をつけなさい」とおっしゃいました。この言葉の意味、ちょっと考えましたが、治療もそこそこに、早く仕事をしたいと言う私に対して「あなたは自分の体をもっと大事にしなさい。」と、よく言われていたので、わたしはこう言うふうに受け取りました。「医師の非を突き詰めても、今の体制では時間の無駄にしかならない。それより二度とこんな事故が起きないように、自分の体を大事にすることを考えなさい」と。





2003年01月19日(日)
動かさないと固まる皮膚

ともあれ今は何事も無かったかのように、普通に筆を持ち絵も描ける右手。
最初は包帯でぐるぐる巻きになって、まるででドラえもんの手だった。11月12月。水仕事、雪かきもできないからこたつにはいって、時々襲う痛みに耐えるだけではあんまりつまらないから、年賀状の干支の絵を書くことにした。その頃は親指は別に巻いていてくれたので、そこに筆を固定してぐうで握る。さて来年は兎の年。なれないぐう握りの筆でビビらず書けるのは「○」。雪兎なら描けそうだ。幸い一年前から習っていた習字がこんな時に役に立った。腕と体全体で書く習字の基礎のおかげだ。もしかすると、指や手首が固定されているからか、いつもより上手い気がする。案の定失敗も少なかった。うみが収まって来た皮膚はどんどん固まろう縮もうとするようで医者によく動かしなさいと言われていたから、リファビリも兼ねての作業となった。

人は生まれた時からみんな違う体を持っていて、それは日を追うごとにまた変化していく。事故に会い無くする物も有れば、老化で徐々に衰える事もある。けれど、そんなことにはおかまいなしに昨日は今日になり明日に向かう。そうしてそれぞれそれなりにそれぞれの命を持って毎日を過ごしている。それで十分だと思う。。ずっと、そう思える自分でありたいのだが。。。



2003年01月20日(月)
大寒にきっちり雪が降った。去年の暮れから干している大根はいい感じにしわしわになって来た。でもまだまだかなぁ。何しろでっかい大根。これはいただいたもの。忙しさにかまけてまたもや畑には何もない。田舎暮しをしていると、この時期大根の一本も無いのは、なにやらおはずかしい気持ちになるのだが、、しょうがないなあ。

一月も終わりに近付いた。今年になってやっと、昨年の展示会に来て下さった方々に、お礼もかねてお便りを出す事が出来た。なんとも間の抜けた便りにみなさん「だれだっけ?」なんておもっていらっしゃることでしょう。ともかく一区切りが付いた気分。いろんな事を思い浮かべながら思うのは、今やっと始まったばかりだと言う事。



2003年01月23日(木)
織り機


ずいぶん久しぶりに織り機を台に乗せた。いつでもすぐ触れるように、机の横の窓際に立てかけていたけど。此処数年、まともに触っていなかった。短大の時2年めに織を専攻したけれど、縦糸を神経質に計って小さい穴に何百と言う糸を通す作業に辛抱できず、もっぱらマクラメや、立体のファイバーワークばかりしていた。でも、工芸染織の枠に捕われない作品作りは面白かった。

そんな事で「織屋」と名乗っているわりには、ちゃんと織り機が触れない。これではなんとかに偽りありだな。

この織り機の名前は「フラミンゴ」という。織り機本体をぐるぐる回して縦糸を張る。この単純さが大好きだ。さて準備にかかろう。



2003年01月24日(金)

工房をはじめて、最初に住んでいた家の回りには夏になると前の原っぱに,葛の蔓が伸び放題だった。静岡で「葛布」と言う布が工芸品として今も作られているのを聞いていたので、何時か織が出来るようになったらぜひやってみたいと思っていた。「葛布帳」と言う本を探していたらこんな本を見つけた。織物の原風景〜樹皮と草皮の布と機〜。20年も費やして全国を回りその土地で作られている様々な糸布の作り方を、細かくまとめられ、その手で糸が出来る光景が目に見えるほど上手くまとめられている。取材をされた方自身が、作り手であり何時か再生するつもりで、まとめられたそうだ。図録にある写真の殆どはもう随分高齢のかたばかりで、この本が出る頃にはもう絶えてしまっている布もあるかもしれないとただし書きがあった。感謝の気持ちでいっぱいになった。



2003年01月26日(日)
海を渡って


とどいた羊です。美味しそうな粗塩と、かの有名なうっちんちゃを持参してはるばるやってきました。かわいいなあ。目のふぞろいな練習中の刺し子と、裂き織に使う布糸と一緒に記念撮影です。



2003年01月28日(火)
おかねの計算

今月末に税務署に出す書類のまとめが出来てなくて、おかねの計算の日。あさって税理士さんが来るまでに整理しなくてはいけないのに。。。「エプロンジャンパースカート」を作っていた。これはイメージスケッチ。ん?
大きく見てみる?

イメージ通りには行かないものだわ。しかし。。。
私って、本当に忙しいのだろうか?



2003年01月29日(水)
さぶい。


家を買ってあげた。
いつのまにか
お座敷猫が一匹増えていた
「たま」だ
此処はかなり
狭いはずなのだが
喧嘩をやめて
いつしかなかよく
ぎゅうぎゅうしていた。
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2003年01月29日(水)
たかいところ


最近、ここが好きだ。
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艸soh の日々のこと
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