: ミハイ・チクセントミハイ: フローについて | TED Talk

――ミハイ・チクセントミハイは問いかけます「人生を生きるに値するものにするものは何でしょう」お金では幸せになれないと気付いた彼は、「フロー」の状態をもたらす活動の中から喜びと永続的な満足を見出している人たちを研究しました。――

 

This talk was presented at an official TED conference, and was featured by our editors on the home page

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ミハイ・チクセントミハイ著『フロー体験 喜びの現象学』世界思想社 (1996/8/1)

第1章 幸福の再来

解放への道

>この単純な心理——意識の統制が生活の質を決定する——は遠い昔、実に人間の記録が存在する限りの昔から知られていた。——中略——しかし人間が数千年もの間、自由になる方法、自分の生活を統制する方法を知っていたということが事実ならば、なぜその方向にもっと進歩しなかったのだろうか。

>第一は、人が意識を自由にするのに必要な知識——または知恵——は蓄積されないということである。——中略——どうすれば良いかを知るだけでは十分でない。競技者や音楽家が理論として知っていることを実践し続けねばならないように、実行し続けなければならない。

>第二に、意識の統制の仕方についての知識は、文化の状況が変わるごとに再定式化されなければならないということである。——中略—— 本質的でない要素とこれらの基本的な要素とが区別されないと、自由への道は荒唐無稽な儀式の茨に覆われてしまう。儀式的形態が本質をしのぎ、探求者は出発点へまた戻らねばならない。

>意識の統制は制度化できない。それが一つの社会的規則や規範になった途端、当初意図されていたような有効性は失われ、不幸なことに常軌化が急速に進行する。フロイトがまだ生きているうちに、抑圧者から自我を解放するためのものだった彼の研究は固定したイデオロギーに変わり、厳密に体型づけられた専門職業に変わってしまった。マルクスはさらに不幸だった。経済的搾取という暴君から意識を解放しようとする彼の意図は、間もなくこの哀れな創始者をもたじろがせるような抑圧の体型へと転化した。そしてドストエフスキーその他の多くの者が認めたように、もしキリストが中世に再臨し、解放についての彼の教えを説き諭したとしたら、彼の名のもとに世俗的権力を築いた教会の指導者によって、何度も十字架にかけられただろう。

新しい時代ごとに——おそらく世代ごとに、または我々の生活状況が現在のように急速に変わるなら数年おきに——意識の自立の確立に必要なことがらについて最高し、再定式化することが必要になる。