私の正月休み

実家に行った帰り夕日が美しかったので追いかけた。間に合わなかったけれど、最後の光の雲が龍のようで美しかった。芦屋坂から城山に入ろうとしたら,通行止めになってたのでそのまま居組まで行く事にした。あのとき城山に上がれたら一番良いタイミングだったのだけど。

七草も相変わらず芹だけですが無事に終えて、ようやく気分は大手を振って休みとなる。どこへ出かけるでもなくやっている事は同じなのだけれど。ばたばたしながらも二日にはいちおう「紡ぎ初め」を行ない、カード掛けもようやく始めた。黒いチェビオットの原毛は焦げ茶色とグレーと白が入り乱れていて、しかもゴミもかなり入り乱れていて難儀している。この作業は屋外でやろう、、とか思いながら、色まぜたらどうなるのか、ネップまぜればゴミも気にならないか。。などと色々いじくっている。眠る時間も惜しい。

この前クマと散歩していて庭でこんなものを見つけた。野蚕とか天蚕だと思うのだけど。こんなに大きいのは初めて見た。ここでたくさん羽化してくれればと思う。羽化するとき酵素を出して繭を傷めてもいい、いいとこ取りして真綿にすれば良いのだから。とか,妄想する。

明日からまた寒波がやってくるらしい。亜熱帯で育つべきアボガドが元気がないのが気がかりでどこに置こうか色々考えて風呂場に置いてみることにした。薪の風呂釜なので一日中タイルの下からじわじわ暖かいからいいんじゃないのかな?

居組の七坂八峠入り口ヘアピンカーブの展望台で車輪梅をみつけた。バイパスが出来てあまり手入れをされないみたいでのび放題に成っている。黒く熟した種と突き出た枝を二本ばかり手折り持ち帰る。車輪梅は染まる木と染まらない木があるらしい。染まったら今度ははさみを持って剪定しに来よう。剪定ならとがめられないよね。とがめないでよね(念押し)それと種育てよう。

昨日は実家に行って母の薬を点検して少し雑談。未だ4時半だというのに食事の準備ができていた。包丁を持てなくなった母のかわりに最近では食事の準備は全て父がやっている。父だって同じ年だから大変だと思うけれど、それほど苦でもないようだ。母の食事を準備し終えて「買物に行くからお母さんのゴハンこれとこれ、はよ食べるように言って」と父。お正月から色々食材が有って買物に出かけてなかったらしいのだが、「やっぱり納豆が無いといけん!」と言っていそいそ出かけて行った。食べ物にはそこそこうるさい。随分薄味に慣れて、ジャコ出汁はいっさい取らない私のお味噌汁はもう口に合わないみたいで、自分で作ったほうが美味しいらしい。白菜と大根の漬け物も自分で漬ける。白菜なんて豪快に丸っぽだものね、男の料理と言う感じで良い。たまに煮物など作った時は「ゴハン食べて行け」とよんでくれる。そして必ず聞く「おいしいか?」「美味しい」でもだいたいはお邪魔な私。

先々の事、今は色々考えないでいる。ありのままで、今この感じがとてもいいと思う。