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母親たちの反核運動

 
 

投稿者メッセージ

3000万の署名、大国を揺るがす ~第五福竜丸が伝えた核の恐怖~ 【そのとき歴史が動いた】
昭和29年に起きた第五福竜丸の被ばくをきっかけに日本の女性たち、母親たちが立ち上がり、世界に広がった反核運動の軌跡。なぜ広島と長崎に原爆を投下された直後ではなく 、それから9年もかかったのか、それはどういう動きだったのか、そしてこの動きは1955年(昭和30年)8月6日に第一回原水爆禁止世界大会につながっていった ‥」
原爆マグロという言葉が広がり他の魚までもが売れなくなった当時の状況は、野菜や魚の汚染が始まり売れなくなっている現在と似ています。また高い放射能を含んだ雨が観測さ れたそうです。ところが‥
「原爆の灰がいつ何時降ってくるかわからない世の中だもの。なにが起きたって仕方ないよ」夫は新聞を読みながらそう言う。「原爆をつくることをやめれば」わたしがそう言う と、夫はあきれかえったようにわたしをながめていた。‥そんな新聞への投書がきっかけで女性たちの思いがつながりはじめたのは、3000万もの署名が集まる1年4ヶ月前の ことでした。
‥ということで、今こそこの時のことを思いだして学び、再現しなくてはと思ってアップします。
削除の可能性ありますので、いいと思った方は即DLしてください。約42分

 
追記:5月18日
1945年8月、第二次世界大戦敗戦後、日本では連合国から原子力に関する研究が全面的に禁止された。しかし1952年4月にサンフランシスコ講和条約が発効したため、原子力研究は解禁される。
1955年(昭和30年)8月6日 第一回原水爆禁止世界大会と同じ年の年末、12月19日に原子力基本法が成立し原子力利用の大綱が定められた。

広島、長崎と第五福竜丸を経て反核日本に,なぜに原子力発電が導入されたのか、以下のページで詳しく知ることができる。

Peace Philosophy Centre『NHK番組 現代史スクープドキュメント 
原発導入のシナリオ ~冷戦下の対日原子力戦略~』 書き起こし (2011.5.14)

 
 

 
 

ところで、
浜岡原発停止要請について、アメリカの圧力だと批判をしている人がいる。
この人自身も浜岡原発を停止すべきと言っていたはずなのだけど。
アメリカの圧力だろうがどうであれ、止めることができたのだから、
何を責め立てることが有るのだろう。鼻息荒く語るものほど信用ならない。

 

あとの原発に付いても、継続して声を上げて行かなくては。継続、継続

 

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