雑草

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用のない人には雑草なのだよ。うっかりしていると無惨に刈り取られてしまう。今日も海に続く道の側溝の整備で根こそぎ排除されるだろうと、まだ小さいけれど昨日始末出来るだけ刈り取ってきた。雑草は成長するまで待ってはもらえない。家の回りにはこんなに裏の白い物は少なくて葉の裏も青い物が多い。葉の裏が白い物は繊維部分がしっかりと分厚い気がする。

米子や境港市が県や市を上げて浜綿栽培に力を入れ始めた。いくつもの山陰の絣が伝承されている地域でもある。観光資源ではない「地域に“既にあるもの”」を私もこの地で探し続けている。何が出来るのかわからないけれど、綿も育ててみた。藍も育ててみた。けど、なんだかちがう。平地も少ないし日当りも悪い。やっぱり麻かな。「苧蒔き桜」と呼ばれていた桜も点在している。けど昔のようにそう簡単に大麻を育てる事は出来ないし、このご時世、しっかり管理する自信も無い。となると、苧麻かな。

さて、さて、採取は別の場所に移動する事にしよう。午前7時、村の東側に走る。そろそろ日が当たってきそうであせるが、幸い後一時間ほどは大丈夫そうだ。峠に向かう北側の道沿いに、随分とのびのびしている。南に川があってその向こうに畑地が続いている。こんな場所だから滅多に刈り取られる事もないのか、数年前より株が大きくなっているように見える。一塊、そうだな、一畳分ほど刈り取って葉をしごいてまとめて車に積む。道ばたに散らかった葉を掃除して、刈り取った後もこぎれいにまとめておく。今度は竹箒を持参しておこう。

良い山苧を見つけても、その辺りが観光資源となって「美観」の整備が始まると、土の斜面もコンクリートで塞がれて、雑草はすっかり姿を消す。田舎道には似つかわしくないお上品な花がきれいに並べて植えられたりする。何を持って「美観」とするのか。日本中どこに行ってもおんなじ「美観」に遭遇するとうんざりしてしまう。自然も文化も、行政の手にかかるとすっかり没個性のつまらない物になってしまう。なんとか出来ない物かしら。