隣人~となり人

年末になっていつもは閑散としているお寺に、人々がお供え物を持ってこられます。
うろうろしていると来訪の声も聞こえないので、玄関のついたての後ろでせっせと糸を紡ぎます。部屋の天井には、とうとうはじける事が出来なかった綿が枝ごとドライフラワーみたいにぶら下がっていて、その下にはもうじき糸が掛けられるたたみ一畳ほどの大きさの焦げ茶色にすすけた機がでんと。

「良いご趣味をお持ちですね」と、言われるたび「ご趣味」と言う言葉に毎回つまずいてしまうのは、染める事も織る事も趣味だと思った事が無いから。かといってこれで稼げている訳ではないから、やはり「ご趣味」なのでしょうか。しかし、農家に生まれ育って小さい頃にしかられながら機仕事の手伝いをしたことが有る70代80代のおばあさんたちはちょっと違ってて、「奥さんは良い手を持っているから」と言われるたび、半人前の手は恥ずかしさに引っ込んでしまうのです。懐かしさと、その仕事の気の長い大変さをしみじみ思い出すように古い道具を、哀愁に満ちたまなざしで眺めて、繭から糸を引きお嫁入りの反物をこさえてくれた母の事を懐かしげに聞かせてくれたり、両親が農作業で忙しい間に経糸を綜絖に通す作業をまかされるが、通し損なってしかられた思い出を話してくださるのです。

私のしごとを、血筋では次の世代に伝える事は出来ないけれど、私が此処に居て、染や織をしていたと言う事や、様々な道具の事を、縁有ってとなりに居た人々が覚えていてくれればそれでいいと思ったりします。

こんな事を考えてみたのは、今日のイトイ新聞の「今日のダーリン」に、「となり」の概念について書かれていたからです。最近は滅多に行かない本屋ですが、まっしぐらに目的の本の場所にたどり着いて、ふととなりを見るとそのジャンルとは全く関係ない本が置かれていたりすることがありますが、気に入った本が有ると、著者買いをする私にとって、この本が探していた本の著者に深い関係のある本だったりすると、また違った興味が広がったりしてうれしくなる事が有ります。まあそんなふうに、滅多に行かないお寺で珍しい光景や、モノにに出会ったなんて言うのもいいかなあと思うのです。

お寺に来た当初、暖簾ばかり毎日染めていたのですが、暖簾と言う言葉が元々は禅宗の用語だったことを知り、「ご縁なのだわ」と何やらうれしくなったものです。昔ながらの料理も暮らしのいろいろな事も和尚さんの作務衣も藍染めの衣も網代の傘に塗る柿渋も、染や織をする私には関わり深いものでした。そんな私なりの「となり」が、そのまた「となり」に関われたら楽しいだろうなぁと考えています。

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