盆舟流しをしなくなって5年になる


2003年に盆舟流しを取りやめて5年になる。こぎれいに整備された小川での小さな灯籠の精霊流しは随分定着してきているみたいだけど、なんだか借り物のような気がして見に行く気がしない。またいつか復活することを願って、此処にも書いておこう。

西方丸 ~南無阿弥陀仏~
私のうまれた街,浜坂には送り火の代わりに「盆舟流し」の行事が毎年盛大に行なわれていた.この街のまつりごとは、海沿いの漁師町らしく川下祭り,盆船流し等、海と船にまつわる行事が行なわれる.都会で暮らすようになっても,この盆舟流しを見るために必ず帰って来ていた.初盆の有る町内ごとに小さな船を造りちょうちんを飾り「船が出るぞ~」の合図とともに町内を練り歩き海の河口に一斉に船が集まる.

浜には火が焚かれ各宗派の僧侶による読経が響き人々は手を合わせる.河口には人々が溢れんばかりに突堤の先に集まり、自分の町内の船を探す.私は,「西方丸 上六軒」と書かれた船を探す.初盆が有り船を造る年、白い船の帆にこの字を書くのがいつも父の仕事だった.そして、それぞれの町内の勇敢な姿の青年が河口から海に入り、日本海の荒波に立ち向かい、大海原へ船を導く.波打ち際には火が焚かれ,闇夜の海から戻った男達のからだをあたためる.

突堤の人だかりでは,あの船が一番だとか,海に入った勇敢な男衆は誰だとか,口々に,嬉しそうな声が飛び交う.そして皆.どうか沈まないで沖まで行けますようにと願う.私はいつもそこから抜け出し一人で波打ち際へ行き静かに手を合わせ、今年亡くなった人や,おじいさん,おばあさんのことを思った.

何百年続いたであろう、この行事が今年から無くなった.何年か前からいやに明るいうちから船が出るようになったなと思ったら,海に流す事無く浜で焼かれ、しまいには船を造る事さへ、やめてしまった.年に一度の大切な文化を、環境問題?、一体なぜなぜ?、連綿と続いた歴史を、あっさりと捨て去ってしまったのは.、、

広い砂浜を横切るゴミの様な板の道.と箱の家.そんなものより価値のないものなのか...のっぺらぼうのきれいな街に,何処に行っても同じテーマパーク.そんなものに魂は揺さぶられやしない.

(画像はDAIさんより、Mさん撮影の物を御借りしました)