きものという農業―大地からきものを作る人たち

“綿”の自給率0% こう書かれた緑色の帯が目に焼き付く。題名を見たとき、目から鱗が落ちた。ずいぶん遠回りして色々やって来た事の結論「きものという農業」すっきりとすっぽりとまさしくそのまんま、そんな感じ。第一章は「養蚕は皇室が支えている」から始まる。ふと、お盆前にお寺に送られて来たカタログの事を思い出した。神社仏閣のしめ縄や、祭事用品の中に、野州麻の栽培の写真と繊維になって干されている写真を見付けた。野州麻を使って織られた奈良晒しもある。各家庭でお盆に使われている「おがら」は苧がら、すなわち麻苧(まお)を取った後のから。古くから麻は神仏を祭る上で重要な素材だった。国産の大麻作りを支えているのは神社仏閣のようだ。

私が暮らす地方では、農業の傍らどの家でも蚕を飼っていた。高値で売れる絹は生活の糧とし、自家用には、綿を育て、大麻を育て糸を紡ぎ、績み、家族の衣を織る。町には紺屋が数件有って、それが普通の日本の暮らしだった。

暮らしが豊かになり、綿が何か、麻が何か、絹が何か知らないまま大人になった。貧しい国の人々の過酷な労働がもたらしてくれた衣を、ずいぶんと祖末にしてきた。取り壊される蔵の中でずっと眠っていた織機と糸車が私のもとにやって来た時、私の日本の暮らし探しが始まった。決して時代を逆行しているのではない。むしろ未来にむけて、欠く事の出来ない一番大事なものなのだと、取り戻さなくてはいけないものなのだと思った。