「子どもより大切な存在ってあるかしら?」オードリー・ヘップバーン

昨日届いたユニセフからのメッセージ「子どもより大切な存在ってあるかしら?」という言葉と、昨日考えた事と。

代理出産に付いて
>代理出産でわが子を手にした夫婦は、最大の幸福を得る
>少子化の時代に、代理母を依頼してまでも子供が欲しいという願いを、
何故こうも問題視するのか? という意見もあります。
一般的には、4割の人間は賛成派らしいです。

自分もかつて子供だったということを思い出しながら、
こういう社会の声はなぜに生まれるのだろうと考えています。
「子供」は誰かの幸福のために存在するものなのでしょうか?
少子化による社会構造の崩壊を防ぐために子供は生まれるのですか?

以前この国の首相だった問題発言の多かったMという方が、
「結婚もせず子供も作らない女性は税金の無駄遣い」
と云うような意味の発言をなさいました。
きっとまた、多くの女性の反感を買うだろうと思い
TVのインタビューを見ていましたら、驚く事に女性の半数が、
同感に近い意見を言っていました。

代理出産をしてでも子供を持ちたいと云う女性の心のうちには
女性としての「愛」という母性本能の他に、社会からの重圧が
大きく関係している様に思えてなりません。
「家父長制を存続させ家督継承すること」
「子供が居ないより、居た方がよくて男の子ならばなお良し」
という社会の(特に日本)考え方が強く影響しているのではと考えます。
そこで、やはりもう一度問いたいのは

「子供」は誰かの幸福のために存在するものなのでしょうか?
少子化による社会構造の崩壊を防ぐために子供は生まれるのですか?

子供は、誰かのために生まれてくるのでは有りません。もちろん社会のためにでもです。代理母や、最新の医療技術で祝福を受け生まれる子供と、誰にも知られない存在しない子供や、虐待を受け親にに捨てられる子供の命。相反するこの二つの命が増え続ける社会とはいったいなんなのでしょうか。母親のこころを知らない私が、見知らぬ子供の虐待を見てぼろぼろと涙がこぼれるのは、かつて私も子供だったからでしょう。

「子どもより大切な存在ってあるかしら?」と言ったオードリーの言葉を、今静かに考えています。