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カテゴリー: スイス旅行記

ちょっと思い出して

もう一つの綛くり機

2005年にジュネーブの蚤の市で購入。行った頃にはもう夕暮れが迫っていて、氷点下で寒くて寒くて、もうそろそろ店じまいのところも有ったりして,駆け足で見て回り写真もあまり撮れてなかった。よほど買おうかと思ったアンティークのリネンの白のドレスシャツやら、壺やら、分厚い本やら。かなり広い場所でたくさんお店が出ていた。

一番気になったのは古い糸車で、可愛い赤い傘がついていて、ドレスを着て糸を紡ぐ中世の女性を想像した。どうやって動かすのかとしつこく見つめていたら、おじさんが動かしてみてあげようと言ってくれたものの、四苦八苦して結局動かせなかった。今だったら私がささっと調整して動かしてみてあげるんだけど。そして今なら迷わず買って帰るだろう。綛くり機は初めて見る形だった。実に可愛い。これくらいならば持って帰れると思い値段交渉して少しまけてもらった。

ヌーシャテル|スイス

ヌーシャテルという小さな町を歩いたんだけど、坂の多い町で、小さな路地の石畳が色とりどりの自然の石でずっと続いていたのです。私はずっと足下ばかり見て路地を右往左往していましたが、広場に出て、ふっと上を見たら今度はしゅっとのびた三角の屋根とお店の看板が目に飛び込んできて、上も気になるでも、下も気になる。。。。そろそろ暗くなってきたのも気になる。。駆け足で、「また来るよ。」と心で言いながら石畳を走った、そんなことを思い出していました。修理が大変のようですがね、やっぱり良いです。

三角屋根と看板のシルエットが美しくてとっさに取った一枚。夕暮れ間近。知らない町で薄暗くなってきて不安になったものの、来た道ではなく駅のそばに有った急な坂道に出てみたくて町をぐるんと回って道を探す。途中すれ違う人に道を尋ねる、相変わらず単語と手振りと、ここはフランス語圏だけど、ドイツ語、英語もだいたい理解してくれる。(英語だって文章になってないのだが)何となくこっちだろうという方向に向かうと、大学らしき建物があり、そこをすぎると学生のアパートの様な建物がある。若者が楽器をいじっているのが見えた。あちらも見知らぬ異邦人をちらりと見る、私は何気なく会釈をして行き過ぎる。それから、古い石畳の狭い坂道を過ぎてようやく駅にたどり着いてほっとした。
この町はほとんどの家の壁が黄土色をしていていて、アレクサンドル・デュマが「バターをくりぬいたような町」という形容をしたと言い伝えられているそうだ。

こころ

去年、クリスマス前の、チューリッヒの街角で、子供たちが、手作りのケーキやクッキーを買って下さいと集まってきた。教会のボランティアかな。。。私も一つ頂く。凍る道でちょっと固くなったクッキーを食べながら街を歩いた。

スイスへの行きの飛行機の中で、映画を見た。「チャーリーとチョコレート工場」英語で台詞は殆ど解らなかったけれど、言葉は無くても切ない気持ちはちゃんと伝わるんだね。帰りの飛行機の中でも映画を見た。今度は邦画。子供が出来なくて家を出された女性が、田舎の施設で一生懸命生きてる話しだった。えらく時代錯誤のテーマだわねと思いながらも見てたんだけど、彼女は結局事故でなくなる。知らないうちに涙が出ていた。「なんで亡くなる訳?」そんな事を思いながら、そのまま少し眠った。

私の隣にはスイス人のおばさんが座っていて、目が覚めた時アイスクリームを渡してくれた。「あなたが眠っていた時、機内サービスが有ったので、もらっておいてあげたのよ。どうぞ」といって渡してくれた。そして、「あなたさっき映画を見て泣いていたわね、悲しい映画だったの?」と、多分こんなような事を身振り手振りと英語で話しかけて下さった。私も身振り手振りで答えて、うなずいて、ちょっと恥ずかしくなって、照れ笑いをする。おばさんも少し笑った。それから、少し柔らかくなりかけたアイスクリームを頂いた。すこしだけしあわせな気持ちになった。

アルベルト・アンカー(1831-1910)

Solothurnの美術館で、アンカーと出会った。実のところ、アンカーと言う画家の名前も知らなかったけれど、私は彼の絵が好きだと思った。ふと、岸田劉生の恐ろしく重い画集、藍色の着物を着た大きな目のもう一人の麗子像を思い出した。晩年の高村光太郎のアトリエ、素朴な木彫を思い出した。それから連想ゲームのように、出会った、心に刻まれた絵や彫刻や文学や、いろいろなものが思い出された。

そして、土間に座って畳を縫っていた、おじいさんを思い出した。

以下swissinfo Previewより

スイス人に人気の理由

19世紀で最も人気を博した画家、アンカーが未だにスイス人の心を打つのはアンカーが好んだテーマにある。30年間、パリに住んでいたにもかかわらず、パリの絵は一枚もなく、アンカーが題材にしたのは故郷アネの村人、市井の人々が主である。「編物をする少女」、「パイプを吸う老人」、「校庭で遊ぶ子供達」など民衆の日常、それも丹念な仕事をする姿、労働の後の安らぎなど家族や調和といった質実剛健のスイス的なイメージが強い。もっとも、「パリのサロンで受けたので選んだ題材だ」と批判する評論家もいるが、アンカーの緻密な絵と抑えられた色調に安らぎを覚える人は多いだろう。

スイス的といわれるアンカーの人生

アンカーは写実主義や印象派が台頭する時代をパリで過ごした。しかし、アンカーの写実主義はクールベやミレに見られる社会派的なものはない。ベルン市立美術館の学芸員、マティアス・フレーナー氏はカタログに「アンカーの絵には悲劇や道を外れた者(犯罪者、反抗者)がいない」と書いている。これはアンカーのプロテスタントの神学に影響を受けた人生観からからくるのだという。

アンカーの人生も決してドラマティックなものではなく、堅実で家族の収入を安定させるべく、アルザスの陶芸家、テオドール・デック氏と組んで陶器の絵付けを手掛けた。芸術面でもアバンギャルドな面はなく、37歳ぐらいから確立された彼の独自のスタイルを死ぬまで変えなかった。しかし、晩年に手が麻痺して以来、手掛けた水彩画は色調もデッサンも自由で新しいアンカーの意外な一面を覗くことが出来る。

swissinfo Preview アルベルト・アンカー

Solothurnの夕暮れ


夕べは、ちょっとおぼろ月夜のいい夜だった。夜の9時頃かな東の山の間がぼぉっと明るくなって、月がそろそろと顔を出した。そろそろ。。ソロトゥルン。。ん?。。そう、これはSolothurnの橋の上からの夕暮れ。待ち構えていた訳でもなくポケットに入れたカメラを歩きながら取り出してちょっと止まって撮ったインスタントな写真。しかし、何でこう美しいんだろ。街に一体感がある。スイスのほとんどの街に有る旧市街はすべてそうだった。必ず教会があって、大きな時計があって、からくり時計だったりもして、そして一日に何度も教会の鐘が鳴る。しかもそれが、暮らしのすぐ側で。

お寺の鐘を撞かなくなって何年になるだろうね、かわりに防災無線の音の悪いスピーカーから童謡が流れる。「ゆうやぁけこやけぇで 日が暮れて やぁまのおてらのかねがるぅ~。。。」
TVのコマーシャルでは、旅館で浴衣でくつろぎながら、じっと鐘の音に耳を傾けている。
この国はいったい、どうなっているのだろう。

屋根

 

魔女がほうきに乗って飛んだら、こんな景色が見えるのだろうか。

ベルンパウルクレーセンターからの帰り、ベルンの駅に向かう。

熊公園近くの橋の上で立ち止まりしばしながめた。

 

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