からむし苧引き参考資料


福島県昭和村 からむし織2000年魂の伝承

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ダイジェスト版 3分 本編 28分。

 

こちらは、南魚沼郡 越後上布 糸は昭和村のものです。

夏の異変

草取りの途中涼んでいたら10cmほどもあるカエルが近づいてきた。何の用だと思ったら、私の足下のナメクジを食べたかったみたいで、じわじわと近づいてペロリと平らげてもぐもぐしている所。カエル、ナメクジ食べるんだ。。

この夏はおかしな事だらけだ。まだ熟れていないぎ銀杏の実が落果するのが止まらない。毎日毎日銀杏を掃き掃除です。草取りで大変なのに一つ仕事が増えて、しかも、かごが重い。

ネコが次々と脱水症状で、まずは母の所のちゃいろ、二度点滴で回復。ウチのたま、一度点滴で回復。みい、二度点滴で回復。はにゃ、性格が半野良のため捕獲不可能で、激しい嘔吐で転がった後、暗がりに潜んでいたはずが家を出て帰らず。一番体の弱いこげは、どのネコにも近寄らず天井近くで一日を過ごす、脱水症状は無いみたい。毎日皮膚を引っ張って確認している。

ランチュウの真っ赤な方が死亡。水温の急な上昇の為か。。以後水温水質には気をつける。夕方ぬるくなった水を少しすてて、じょうろで新しい水をやるとらんちゅうがうれしそうに泳ぎ出す。

私は、日中の炎天下の草取りはやらない。

追記

体調の悪いまま家を出ていた「はにゃ」が1週間ぶりに帰って来た。ちょっと痩せて。

今日はにゃの事を書いたからかな。 動物とでも、そういう事有ると思う。虫の知らせとかね。

餌、食べられるようであんしん。猫缶をフンパツする。 食べ過ぎないように。

せっかく帰ってきたのだから、いなくならないでよね。

縦書き時のタグ

テンプレートにはあらかじめ</head>の直前に以下の縦書きのタグを加えておく。
<script type="text/javascript" src="http://www.google.com/jsapi"></script>
<script type="text/javascript">google.load("jquery", "1.4");</script>
<script charset="utf-8" type="text/javascript" src="http://nehan.googlecode.com/hg/nehan-min.js"></script>
<script type="text/javascript">
window.onload = function(){
Nehan.LayoutMapper.start("div", {
charImgRoot:"http://nehan.googlecode.com/hg/char-img",
fontFamily:"IPA明朝, MS 明朝, Hiragino Mincho Pro",
filter:"direction",
noBR: false,
onSeek: function(groupName, seekPercent){ },
onComplete: function(groupName){ },
onCompleteAll: function(){
$(".lp-vertical").css("display", "inline");
}
});
};
</script>
</head>
簡素版エディターで自動改行設定にして以下の様に記入する、
<img alt="達磨忌料理" vspace="1" hspace="1" src="http://gallery.me.com/totosa/100162/DPP_0278/web.jpg" />
(画像と文字の間を一行空ける)
<div class="lp-vertical lp-width-400 lp-height-450 lp-font-size-12">
11月3日 達磨忌献立
一、けんちん
 (小芋、大根、ごぼう、人参、干し椎茸、蒟蒻、豆腐、昆布、銀杏)
二、天ぷら(さつま芋、雪ノ下の葉、松茸)
三、カボチャの煮物
四、水菜と高野の粉の煮物(塩漬け水菜、高野の粉)</div>
*記事にタグを書き込まなければ普通に横書きになる。

草木染の事

夜中に書き物をすると、どうも書きそびれた事が有って、一日気になっていた。何がそんなに気になっていたかと言うと、「布になったものに草木で染めるのは何かもったいない気がして」と書いた事。あくまで私がその頃使っていた素材と技法での話で。薄布なら無地に染めたり、筒描きや、和更紗も織ではないけれど草木染めで良いものが作れる事を書き加えて置いた方がいいかな。。とそんな事をちょっとおもってたら、こんな資料を見つけたと教えてくださったので、かなり昔の資料なのでちょいと、掲載致します。(日々の事は私の大事な資料置き場なもんで。。)昭和56年の発行の手仕事という冊子より。(写真は、貼付けてあった実物のサンプルだそうです)

藍甕の朝
三島の紺屋  井上 一雄

富士の白雪がとけて涌き出た水は、以前は三島の町の中を機筋にも流れて、この涌き水を使って数多くの紺屋とその下職があった。西洋から化学染料が入って来た明治の中頃までは、染料は「染め草」と言って草根木皮が使われたのが藍染だった。淡い水色から、くり返し染めると納戸(なんど)になり、更にくり返すと紺になる。藍は日本人の染色の基調になったものである。染物屋が紺屋(こんや、或いはこうや)と言われたのも、藍染が最も大事な仕事であったことを物語っている。その頃の紺屋の広い土間には、大きな藍がめが四十も、多いところでは八十個もすえられて、その中で藍が発酵され(建てる、と言った)その中に布や糸が入れられてくり返し染められていた。その当時は、農家では家族の着る物は、その家の女衆の手によって織られた。その糸や織布が遠近の農家から三島の紺屋へ持ってこられて染められた。「紺屋使いと云って、朝早く眠い目をこすりながら、三島の紺屋へ糸や布を持って使いをするのが女の子の仕事だった。藍は多くは阿波の徳島から来た藍玉を使って、藍がめに建てられていた。その技術は、秘伝とされて、紺屋職人の一番苦心したもので、「酒杜氏はあっても、藍杜氏はない](酒作りの名人はあっても、藍をたてる名人はいない)と言われるほどに、そのコツを会得するまでには長い年月の経験が必要だった。藍がめの藍が、年中同じような状態で醗酵するのを維持するためには、冬は火を入れてあたためるなど、藍を守ることは紺屋の死活を左右する大事なことだった。藍で染められた代表的なものに唐草のふとんがある。その頃の嫁入りぶとんには、鶴亀や松竹椅をもようにしためでたい柄が染められていた。もめん地の畑に棉を作って、それから棉を採り、糸に紡いで手機にかけて織られるまでの労苦は、当今の人々には想像もできないだろう。それを唐草に染めてふとんを作った時には、赤飯を炊いて祝った
と言われるほどである。藍の他には、やまもも、やしゃ、くちなし、きだ、刈安などが染料として使われ、赤の色は、べんがらが用いられた。染められた糸や布は、日当りのよい場所に、「張り場」という広い庭が設けられ、そこに布が張られ、糸がほされていたのである。

紺屋にはいろいろな下職があった。五月のぼりの武者絵などを書く下絵師、それに糊を置く糊置屋、唐草や小絞の型をつける型付屋、紋を書く紋屋などだ。明治の文明開化は日本に産業革命をもたらした。此の街の紺屋も例外ではない。西洋から入ってきた化学染料は、小さじ一杯の量で多彩な色を作り出すとともに、染色は工業化されて、紺屋職人の長い経験による勘やコツによる染色は不要となった。三島の紺屋とその下職の数もだんだんに減って、大正の末期には、紺屋の土間に藍ガメを見ることはできなくなったのである。

敷きもの


おおらかな 形の器と合わせてみた。柿の渋と陶器の焦げ茶。そろそろ、栗の染めの季節だなぁ。