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カテゴリー: 問題

川とダムのことを考える

川とダムの関係|流域の自然を考えるネットワーク より

「川岸が垂直の崖化した川の上流には、必ずダムが有ります。そう思って間違いありません。山崩れ防止や土砂災害防止を目的に建設される治山ダムや砂防ダムがむしろ、川を不安定にさせて、災害を新たに引き起こす原因になっていることを知っていただきたいと思います。

多くの人たちは、「治山」や「砂防」の言葉に惑わされて、山崩れや土砂災害を防止するものだと思い込まれているのではないでしょうか。事実、私もそう思って疑うこともありませんでした。しかし、実際は治山ダムや砂防ダムのある川で、災害は頻繁に起きています。簡単に異常気象だとすり替えず、災害の根源は本当は何なのか?発生源から因果まで現場をしっかりと見ることが、とても重要なのです。」

川の異変を感じませんか?

 

ドキュメンタリー映画『ダムネーション』公式 (DAMNATION) by パタゴニア

 

1948年5月15日パレスチナ人「ナクバの日」

1948年5月14日にイスラエルが建国され1948年5月15日に大量のパレスチナ難民が発生した

板垣雄三・東京大学名誉教授が「ナクバ(大災厄)の日」70周年直前の5.13に継続的な民族浄化へ警鐘を鳴らす講演!「パレスチナ人という存在そのものが消されようとしているということが、ナクバ70年の現実」

板垣雄三(1931年2月5日〜)

来歴・人物 Wikipediaより URL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=板垣雄三&oldid=66624946

東京市本郷生まれ、1953年東京大学文学部西洋史学科卒業、1956年同大学院修士課程修了、東京都立竹早高校教諭、1960年東大東洋文化研究所助手、1965-1966年アラブ連合共和国へ出張。1966年東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所専任講師、1967年助教授、1971年東大教養学部助教授兼任(歴史)、1972年でAA研兼任解職、1976年東大教養学部教授、1986年東大東洋文化研究所教授兼任、1987年東大教養学部兼任解職、1991年定年退官、名誉教授、東京経済大学特任教授、1993年教授。1997年コミュニケーション学部長。2001年定年退職、名誉教授。
1964年アジア経済研究所発展途上国研究奨励賞、1989年大同生命地域研究奨励賞、1991年JCJ特別賞受賞。2003年文化功労者。日本中東学会会長、日本イスラム協会理事長、アジア中東学会連合会長、日本学術会議会員。

NHKスペシャル~日本国憲法70年の潮流~

番組を見終わって感じたこと
◆国民のためにあるべき日本国憲法の、実現できたであろう法のいくつかが、表立って見えないように、静かに、じわじわと。70年の長い年月をかけて国(政治)や国民主権を認めない人々によって阻害されてきたのだと感じた。◆そしてそれは憲法の不備のせいであるかのように騙られている。◆改憲、護憲、いや、憲法について話し合う、それ以前の問題だと感じる。◆国家は国民を守らない。だから日本国憲法は作られたと言うことを忘れないでいたい。


画像番組HPより/URL https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/46/2586936/

再放送 2017年5月11日(木) 午前1時00分(60分)

メモ〜

今朝は洗面所のタオルに10cm超えの大きなムカデが張り付いていたらしい。
ムカデは進んで人間を攻撃しないって何度も出会うとわかります。
だっていつも『ここにいるよ』と大きな足音で教えてくれる。
軍手に入っていたこともあったけど5分くらいじっとしてたこともあった。
多分びっくりして、でもどうしようもなかったのだろう。
そのあと私もびっくりして軍手を投げたけど。
でも、もう戦わないことにします。今までごめんね。
だからあまり早く走らないで。

マイケルムーアの世界侵略のススメって

 

マイケルムーアの世界侵略のススメの本当のテーマは人間の尊厳だった。短編動画では見られない。ドイツの徹底した戦後教育、ポルトガルの警察、ノルウエーの刑務所。情けない日本の国。どうして変えられない。

動物も色々かんがえてる/植えない森、地球温暖化

何て可愛いんだろう。いっぱい後ずさりして。
動物も色々考えてる。

ふと、最近頻繁に民家近くにやってくる熊の話を思い出した。

山の上の方にある村の民家の柿の木のYの字の間に、子熊がちょこんと座って両手を使ってムシャムシャと柿を食べている。その姿を遠巻きに村人がどうしたものかと眺めてるのだそう。あまりにも可愛い姿に困惑している。数日後もまた同じようにやってきてムシャムシャと食べている。そしてやっぱり困惑しながら眺めている。

赤崎の小学校の横の空き地にはっよく立派な角を持った牡鹿が立っているらしい。威嚇したって逃げたりしない。お寺のそばで鳴く鹿の声もとっても近い。今夜は9時に叩く禅堂の木板の音にあわせて鳴いてくれたそうだ。「カンカン。キューン」といった具合に。

近頃動物となんだか意味深に出くわすことがある。私たちが生きているのと同じように動物も色々考えて生きていることを思い知らされる。あの時の山カカシ⇨カガシは私にヒキガエルを奪われてとても怒っていた。あのヒキガエルはどうなったかわからない。

自転車旅の番組を見てて、うちのよりうんと長生きをしているイチョウを見た。千何百年だって。人間なんて及びもしない。

人間なんてなんぼのもん。

裏山の植林の伐採の頃から、杉が育ってきた様子。遡れば何年になるかな。15年以上前だったっけ。裏の畑も5年くらい前までは柵なしの畑だった。もちろんイノシシの柵だけはあったけれど。杉も小さいうちは下草も生えていて鹿なんかの食べ物もあっただろうけど、杉が大きくなると下草が生えなくなって食べるものがなくなる。熊も本来草食らしいから取り合いなのだろう。とにかくこんなに鹿や熊がここに頻繁に出てくるのは最近のこと。全国的だから気候のせいかしらとも思うけど、全国の植林の状況も調べてみれば因果関係があるかもしれない。

この山の裏は海、断崖なんだ。だからそもそもそんなに深い山じゃないから、追われた山のものはそれ以上行く場がないのだよ。素人考えだけど。

気になるブログ 後で読んでみよう

日本の森を救う「植えない森=地球が再生する森」のすすめ/植えない森

日本の森を救う「植えない森=地球が再生する森」のすすめ/地球温暖化について

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ただ純粋に大麻の繊維を糸にして使いたいだけなのだ。けれども昨今の 大麻『アサ』復興 についての動きがなんだか嫌な感じがしてしょうがない。

8月終わりころ大麻栽培についての記事を書くも、何日も投稿しようかどうか迷って、最終的になんだか気持ちが悪くなり捨ててしまっていた記事を、バックアップから探し出しアップすることにした。この時はまさかこんなことになるとは思っていなかったけれど、その時の嫌な気持ちが的中してしまったような気分だ。上野さんの逮捕を受けて、既存の大麻栽培免許を持っている人の取り調べが厳しくなり、ますます大麻の栽培が難しくなるのではないだろうか、新規の免許なんてもうあり得ないかもしれない。

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まずは江戸時代から続く麻農家の8代 目 大森 由久さんの熱い思いの記事を読む。鹿沼市の広報PDF 特集『野州麻を守る』より麻復興への熱い思いをひしひしと感じる。ただ、代々受け継いだ手仕事、地場産業を守りたいという一心なのだ。大森氏が代表を務める 日本麻振興会 http://shinmahounou.com のHPを開いで驚いた。どこかの宗教団体のHPかと思った。何かちょっと違うんじゃないかな。。

栃木県では昭和40年台に大麻畑で盗難が相次ぎ研究を重ねて『とちぎしろ』という無毒麻の開発に成功し存続の危機を脱したそうである。後継者問題、いやそれより、産業用として価値がなくなったことのほうが衰退の原因ではないだろうか。どこかで読んだけど、『とちぎしろ』は県外の持ち出しが禁止されているけれど、復興のためならそれを解除してもいいということが書かれていた。国内の法律においても、麻織物、神事用民芸品、衣類、雑貨、紙、食品、などなど、合法として位置付けられているにもかかわらず、なかなか許可が下りないのはなぜか、誰が何が止めているのかしら。。気になって調べてみたところある記事の中に問題を見つけた。一部抜粋する。どうやら以下の理由らしい。

大麻取扱者免許は、都道府県の行政手続条例で免許申請の審査基準や書類の様式が定められている。県の薬務課に訪問してそれらの書類一式をもらう必要があるが、たいていの場合は門前払いを受ける。なぜならば、大麻を薬物として規制しているところが厚生労働省管轄であり、農業を推進する農林水産省管轄でないことがネックとなっている。しかし、法律の細則を定めた「大麻取締規則」では、厚生・農林省令第1号であり、本来は共同管轄であったにもかかわらず、それが機能していないのである。 北海道ヘンプネット>栽培免許について より

「とちぎしろ」という無毒麻の開発に成功した栃木でも未だに大麻取締法の規制で免許性となっており、作付面積の拡大や新規参入が困難で減り続けているという。

栽培許可について「その栽培目的が伝統文化の継承や一般に使用されている生活必需品として生活に密着した必要不可欠な場合」に限る(神事など)としており、事実上ほとんど認めない方針

これがビクともしなかったけれど一箇所だけは60年ぶりに許可が出された。妙な感じた。以下に引用した記事を読んだ。妙な感じの原因はこれかもしれないと感じた。

【不可能を可能にする日本のスピリチュアリズム】(戦後憲法の全面的な改正ということは、国家の神聖な実在性が基本的に拒絶されている現在、実質的には不可能と見たほうがよいだろう)だが、それを可能にする方法が存在する可能性がある。それは、現在ものすごく流行っている日本のスピリチュアリズムを利用し、国家の超越的な神聖性をまったく異なった角度から正当化する方法である。  ~現代日本人を虜にする国家神道的メンタリティ より

 

参考動画 ]]>

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