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リヨンと養蚕秘録

 

昨夜はほっこりしながら、以前NHKで見たリヨンの光の祭典 (Fête des Lumières) の動画を探し当て見ていた。 

光の祭典
毎年12月8日から11日にかけて「光の祭典」 (Fête des Lumières) が行われる。これは、ペストがアルプス以北の欧州で1348年から1353年に流行した際、リヨンのひとびとがフルヴィエールの丘にあるノートルダム聖堂のマリア像に祈りを捧げたところ、流行が治まったことに由来するという。この日の夜はリヨン市内の家々の窓際(感謝の捧げ物としてのロウソクなので、本来はフルヴィエールの丘に面した窓のみ。現在はそれにこだわらない)はろうそくの灯りで彩られ、建物や道路はイルミネーションで飾られる(時間を決めて、各家庭と街の不急の照明を消灯する。ライトアップされたノートルダム聖堂と、窓々のロウソクの明かりが幻想的である)
引用:ウィキペディアの執筆者,2018,「リヨン」『ウィキペディア日本語版』,(2018年6月2日取得,https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%AA%E3%83%A8%E3%83%B3&oldid=68767182

——以下はリヨンと養蚕秘録——

フランス第二の都市であるリヨンは、絹と織物の街として栄えてきた町なのだが、1855年にヨーロッパ全土に広がった蚕の病気がリヨンの絹織物産業に大打撃を与えた際、その助けになったのがシーボルトが持ち帰った上垣守国(注)による『養蚕秘録』であったことなどを知った。その後富岡製糸場などが建設される。養蚕秘録は但馬の絹の品質があまりよくなかったので品質向上のためにまとめられた本だが、この本の優れた点は、字を読めない農家の女性や子供にもわかりやすいように挿絵を多く用いていたことだ。

上垣守國の『養蠶秘録』がヨーロッパの絹糸産業を救った話ー奥正敬
https://www.kufs.ac.jp/toshokan/bibl/bibl212/pdf/212-27.pdf
https://www.kufs.ac.jp/toshokan/bibl/bibl212/pdf/212-28.pdf
https://www.kufs.ac.jp/toshokan/bibl/bibl212/pdf/212-29.pdf

(注)江戸時代中期-後期の養蚕家。
上垣守国(1753-1808)宝暦3年生まれ。但馬の国(兵庫県)養父郡(やぶぐん)蔵垣村(兵庫県大屋町)の庄屋。文化5年8月15日死去。56歳。通称は伊兵衛。号は仙栄堂。生年は宝暦1年説もある。蚕種の産地であった陸奥の国(青森、秋田、岩手、宮城、福島各県)を頻繁に訪れて蚕の飼育を学んだ。その成果を纏めたのが『養蠶祕録』である
(京都外大附属図書館 http://www.kufs.ac.jp/toshokan/gallery/france19.htm

国立国会図書館デジタルコレクション『養蚕秘録』はこちら
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2556952?tocOpened

 

関連記事 2013年8月13日 北但馬のモノつくり

 

気分転換

 

頭の中が煮詰まってきたので、今年初のヤマオ引きをする。
(山に生える苧麻から麻繊維をとるという意味)
石垣の日陰のも大きくなっている。茎についていたアワアワの中にうじゃうじゃと、赤いお尻の子がいた。横の茎に置いてきたのに一匹ついてきた君は誰ですか?申し訳ないがちょっと他所に行ってもらう。
追記:アワフキムシというらしい。

アワフキムシ. (2016, April 23). In Wikipedia. Retrieved 11:23, April 23, 2016, from https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%A2%E3%83%AF%E3%83%95%E3%82%AD%E3%83%A0%E3%82%B7&oldid=59461862

1948年5月15日パレスチナ人「ナクバの日」

1948年5月14日にイスラエルが建国され1948年5月15日に大量のパレスチナ難民が発生した

板垣雄三・東京大学名誉教授が「ナクバ(大災厄)の日」70周年直前の5.13に継続的な民族浄化へ警鐘を鳴らす講演!「パレスチナ人という存在そのものが消されようとしているということが、ナクバ70年の現実」

板垣雄三(1931年2月5日〜)

来歴・人物 Wikipediaより URL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=板垣雄三&oldid=66624946

東京市本郷生まれ、1953年東京大学文学部西洋史学科卒業、1956年同大学院修士課程修了、東京都立竹早高校教諭、1960年東大東洋文化研究所助手、1965-1966年アラブ連合共和国へ出張。1966年東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所専任講師、1967年助教授、1971年東大教養学部助教授兼任(歴史)、1972年でAA研兼任解職、1976年東大教養学部教授、1986年東大東洋文化研究所教授兼任、1987年東大教養学部兼任解職、1991年定年退官、名誉教授、東京経済大学特任教授、1993年教授。1997年コミュニケーション学部長。2001年定年退職、名誉教授。
1964年アジア経済研究所発展途上国研究奨励賞、1989年大同生命地域研究奨励賞、1991年JCJ特別賞受賞。2003年文化功労者。日本中東学会会長、日本イスラム協会理事長、アジア中東学会連合会長、日本学術会議会員。

角帯完成 少し薄手

 

 

「ふさは要らん」とか言われそうだけど、、、水に通したら予定よりやや縮んでしまったので付けておいた。もう少しふっくらとしたものを想像していたが5本では少なかった。手紡ぎ糸ならよかったのかも。織始めの耳の不始末は見ないようにしする。でも最後もあまり変わらないけど。

とにかく糸を倍の太さにしてもう一本を織っている。(けど経糸が足りるだろうか…)

角帯を織る

 

 

結んだ端からプチプチちぎれるほど使い込んだ角帯を新調する。修行に出た時のものなら40年弱、先代の和尚さんのお古だともっと古いかも。角帯を、というより帯を織ったことがないので、糸の太さとか密度とか手探りだ。経には未精錬のタッサーシルクと、緯には藍染の木綿糸の束と。あと2.5mほどで完成する。太めの木綿糸は托鉢に使う頭陀袋の布を織るために購入していたもので、他にも手紡ぎ糸で白衣とか「織ってあげます」と言いながら何年も経ってしまった。

経糸の乱れが気になる。同系色なら気にならなかっただろうけど仕方がない。緯糸を継ぐ時できた模様がさりげなく面白い。などと考えながらもバシッと打ち込む。

 

大雪で冬眠してました

とにかく何年かぶりに体験した大雪でしたってこと書いておけねば。1月末から半月の間、お寺から車が出せず。ならば冬眠しよう。ということで織機の調整やら織計画やらに没頭。