神話の森 中国山地

新日本風土記の再放送 神話の森 中国山地を見た。

http://www.nhk.or.jp/fudoki/120525broadcast1.html

神話の森 中国山地

1300年前にまとめられた「古事記」をはじめ様々な神話の中で、多くの神々が活躍した中国山地。この地では、神と共に生きる暮らしが今も続いている。古代と現代とが交差する七つの物語。

<オムニバス項目(抜粋)>
○国造りを行ったオオクニヌシとスセリ姫。二人が愛を語らった山には今も若い恋人たちが集まる。
○岩戸に隠れたアマテラスを踊りによって導き出したアメノウズメ。これが神楽の原点とも言われる。中国山地の奥深くでは今も、神に舞を捧げることで神を身体に招き、吉凶を占う神事が伝わる。
○中国山地では若者たちが神楽に熱狂している。この「新舞」は、戦後、GHQに禁止されたことで生まれ変わった、新しい「神様とのつながり」。
○和牛発祥の地・中国山地。今も生産者は、神様とともに牛の出産を見守る。
○砂鉄を求め山へと分け入ってきた中国山地の人々。その背後からは怪物・ヤマタノオロチが忍び寄る。
○英雄キビツヒコと退治された鬼のウラ。岡山市吉備津では鬼のウラへの信仰も。
○死別した夫婦イザナキとイザナミ。妻イザナミの埋葬された山では、33年に一度、亡き人に神秘の舞が捧げられる。

若者たちに伝承されている神楽の話しは面白かった。土地の若者は毎日練習に励んでいるのだそうだ。神楽のかっこよさが今の若者の感性に響くのだろう。ゲームやアニメの世界では神話の登場人物が新しい姿で登場している。

そしてもう一つ、百済の王が伝えた様々な技術、とりわけ、この地方の牛飼いとたたら製鉄、そして養蚕に代表される機織りの技術の伝授との事が詳しく知りたくなる。

温羅伝説

http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%B8%A9%E7%BE%85&oldid=47670421

桃太郎伝説

http://www.asukanet.gr.jp/tobira/momotaro/momotaro.html#okayama

  

新説・温羅伝説

http://www.sunroad-kibiji.com/sinsetu_ura.html

戦に破れた百済の王子、吉備の国へ技術集団と来航。
ある時、朝鮮半島から吉備の国へ大きな船がやって来た。
船から身を乗り出して見下ろす男は、民衆にとってはとてつもなく大きく見えた。長旅で疲れていたせいか、髪や髭は伸び放題。頬は落ちくぼみ、目だけがギラギラ光っていた。男は自分のことを「百済(くだら)の王子」と名乗った。
古くから朝鮮半島と深い交流関係にあった吉備の国。話を聞けば戦に破れ、逃れてきたとのことで、王子をはじめ百済の技術集団らを快く受け入れた。
王子はその礼として、造船技術や製鉄技術など百済の優れた技術を伝授することを約束した。

まず最初に、本土防衛のための山城造りに取りかかった。というのも、百済と戦って勝利を収めた朝鮮半島の古代国家からの侵攻を配したからだ。
朝鮮式の古代山城にならって、標高400mの山頂に同じ様式の城を築き、周囲には城壁を巡らせ、そばの岩屋山には楯を構えた。
百済からの渡来人はこの城壁を「ウル」と呼んでいたことから、王子は温羅(うら)と呼ばれるようになった。

百済の渡来人というのは「秦氏」では無いかと言われている。高度な技術を持ち、土木技術や農業技術 養蚕,機織,酒造,製鉄、など様々な技術を広めて行った。そしてその秦氏のルーツはイスラエル人とも言われている。

http://www.historyjp.com/article.asp?kiji=71

城壁の名前のウル 、ウラと呼ばれた百済の王王。この言葉には何か意味がありそうだ。調べてみる。

温羅伝説の温羅=ウラとは。。>百済からの渡来人はこの城壁を「ウル」と呼んでいた。ウルとは古代イスラエルの地 ウル (Ur) の事ではないだろうか。

ウル (Wikipedia)

ウル (Ur) は、ウリム (Urim) ともいい、古代メソポタミアにあったシュメール人都市及び都市国家、またはその遺跡。元来はチグリス川ユーフラテス川ペルシア湾への河口近くに位置していた。現在はイラク領にあり、ユーフラテス川南方の北緯30°95’、東経46°5’に位置する。
旧約聖書のアブラハムはこの地の生まれと言われ、ここからカナンの地へ旅立った。
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%A6%E3%83%AB&oldid=47054195

ユダヤ人(Wikipedia) 

歴史/古代

詳細は「古代イスラエル」を参照

旧約聖書によると、民族の始祖アブラハムが、メソポタミアウル(現在のイラク南部)から部族を引き連れて「カナンの地」(現在のイスラエルパレスチナ付近)に移住したとされる。彼らは「移住民」という意味の「ヘブライ人」と呼ばれ[12]、この付近で遊牧生活を続けた。

紀元前17世紀[13]、ヘブライ人はカナンの地から古代エジプトに集団移住した。古代エジプトの地で奴隷とされ、その後、エジプト第19王朝の時代に、再び大きな気候変動が起こり[14]、エジプトのヘブライ人指導者モーセが中心となり、約60万人の人々がエジプトからシナイ半島に脱出を果たす(「出エジプト」)。

彼らは神から与えられた「約束の地」と信じられたカナンの地(パレスチナ)に辿り着き、この地の先住民であったカナン人ペリシテ人を、長年にわたる拮抗の末に駆逐または同化させて、カナンの地に定着した。この頃から「イスラエル人」を自称するようになり、ヘブライ語もこの頃にカナン人の言葉を取り入れて成立したと考えられる。

http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E4%BA%BA&oldid=47778119

ウルの市街地は、高さ八メートルほどの城壁で囲まれていた。その外には一面の麦畑が広がっていた。と有る。

メソポタミア文明 古代都市ウル(紀元前3500年頃)
大成建設HPより有料CGになっていました
http://www.taisei.co.jp/about_us/release/1998/feb/feb06.html

最古の国際都市ウル、50年ぶり発掘再開
古代メソポタミアの中核都市で、旧ソ連のような計画経済の痕跡が見つかる(2016.03.16)
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/a/031500018/

岡山県総社市 鬼ノ城=ウル

鬼ノ城

947094_611531638866047_1994265972_n
http://www.city.soja.okayama.jp/kanko/kankochi/kinojo.jsp

温羅=ウラが、イスラエルの民だという説は随分あちこちでささやかれているのをはじめて知る。そして、鬼ノ城やウル、ウラについては正式な歴史書には書かれてい無いらしい。

秦氏の末裔 渡来人秦氏と広隆寺の関係

http://www7a.biglobe.ne.jp/~mkun/nazo/hata.htm

六芒星 (ヘキサグラム ダビデの星)
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%85%AD%E8%8A%92%E6%98%9F&oldid=46969083

五芒星 (ペンタクロス)
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E4%BA%94%E8%8A%92%E6%98%9F&oldid=46944259

古代☆ペンタクロス文化
http://blogs.dion.ne.jp/pentacross/

日本とヘブライの共通点
http://inri.client.jp/hexagon/floorA3F_hb/a3fhb010.html

日ユ同祖論 http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%97%A5%E3%83%A6%E5%90%8C%E7%A5%96%E8%AB%96&oldid=47882814

日ユ同祖論 伊勢神宮と鞍馬寺の六芒星 http://www7a.biglobe.ne.jp/~mkun/other/jjjj.htm

あちこちにリンクして、しかも妙に興味深くて、どこかに吸い込まれて行きそうである。
ここら辺で 中国山地の話しに戻ろう。

たたら製鉄について  

中国地方の砂鉄
出雲地方は「たたら製鉄」ゆかりの地であるが、当地では周辺地域に産する砂鉄を2種類に呼び分け、その性質に応じて適宜使い分けてきた。
一般的には、山陰側(山陰帯)の磁鉄鉱系列花崗岩に由来する砂鉄は純度が高く、「真砂(まさ)砂鉄」と呼ばれる。いっぽう、山陽側(領家帯)では花崗岩はチタン鉄鉱系列であり、ほとんど砂鉄を含まないが、安山岩玄武岩などの火山岩に由来する「赤目(あこめ)砂鉄」を産出する。純度は高くないかわりに加工のしやすさが特長であるという。

たたら製鉄は日本ならではの製鉄技術?

http://web.joumon.jp.net/blog/2007/01/000106.html
もののけ姫を読み解く
http://ghibli-fc.net/rabo/monoke_yo/yomitoku18.html
http://ghibli-fc.net/rabo/monoke_yo/yomitoku19.html
http://ghibli-fc.net/rabo/monoke_yo/yomitoku20.html

たたらの民は上質の砂鉄を求めて中国山地を移動していた。
日立金属のたたらの話し
http://www.hitachi-metals.co.jp/tatara/index.htm
>たたらの歴史>中国地方に置けるたたら

934877_611773165508561_555229558_n
中国地方のたたら

http://www.hitachi-metals.co.jp/tatara/index.htm

地図でもわかるように中国山地北部(山陰)と南部(山陽)では鉄の素材が異なりその製法もくっきりと別れているのがわかる。そして砂鉄の取れた良質の海岸沿いには、弥生時代から古墳時代にかけてのたくさんの遺跡が見つかっている。
 
妻木晩田遺跡  鳥取県 西伯郡 大山町
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%A6%BB%E6%9C%A8%E6%99%A9%E7%94%B0%E9%81%BA%E8%B7%A1&oldid=47748151
青谷上寺遺跡 鳥取県青谷町
http://inoues.net/ruins/yayoi_no.html
長瀬高浜遺跡 伯郡羽合町長瀬
http://inoues.net/ruins/nagasetakahama.html
馬ノ山古墳群 鳥取県羽合町 
http://inoues.net/ruins/umanoyama.html
新井三嶋谷遺跡 -鳥取・岩美町-
http://inoues.net/ruins/niimishimatani.html

古墳時代以降
上淀廃寺 鳥取県・淀江町
http://inoues.net/ruins/jyoyodohaiji.html
最初にあげた鬼ノ城もこの時代と考えられている
古代吉備王国の旅 鬼ノ城(きのじょう) 

http://inoues.net/club/kibi_new2.html

これらのことから、『戦に破れた百済の王子が吉備の国へ技術集団と来航』

する以前から中国山地北部には大陸から数々の技術と共に多くの人々がすでに渡来していたと考えられる。

ところで ウル (Ur) は、ウリム (Urim) ともいい、古代メソポタミアにあったシュメール人都市及び都市国家、またはその遺跡。元来はチグリス川ユーフラテス川ペルシア湾への河口近くに位置していた。現在はイラク領にあり、ユーフラテス川南方の北緯30°95’、東経46°5’に位置する。旧約聖書のアブラハムはこの地の生まれと言われ、ここからカナンの地へ旅立った。

天王星 Uranusは、太陽系の太陽に近い方から7番目の惑星である。太陽系の惑星の中で木星・土星に次ぎ、3番目に大きい。1781年3月13日、イギリスの天文学者ウィリアム・ハーシェルにより発見された。名称のUranusは、ギリシア神話における天の神ウーラノス(Ουρανός、ラテン文字転写:Ouranos)のラテン語形である。

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ヘルシェルはハノーファーのユダヤ人の家の10人兄弟姉妹の4番目の子供として生まれた

同じ頃発見されたウラン(独: Uran, 新ラテン語: uranium[3]) ウラニウムの名でも知られるが、これは金属元素を意味するラテン語の派生名詞中性語尾 -ium を付けた形である。なお、ウランという名称は、同時期に発見された天王星 (Uranus) の名に由来している。元素としてのウランはドイツマルティン・ハインリヒ・クラプロート (M. H. Klaproth) が1789年閃ウラン鉱から発見した。1781年ウィリアム・ハーシェルにより発見された天王星 (uranus) が語源となっている。

(8304)