榎並和春 絵画展 ーかぜのおとづれー


1月31日から2月6日まで大阪梅田の阪急百貨店9階美術画廊で開催される。榎並和春 絵画展 ーかぜのおとづれー(春さん、ポスターありがとうございました)去年の神戸には行けなかったので、本当にうれしい。拾って来た木っ端と石と海綿と一緒に記念撮影をした。

すり鉢のような石ころの海にしゃがみ込んで、石や木やゴミや、そんななんでもないようなものを拾って、まじまじと眺める。なでる。そこに見えてくる色や形はとても美しい。だけど私はまだそれを形には出来ない。見知らぬ土地に暮す春さんは、どんなものを見て、どんな風に感じたのだろうか。2月になったら木っ端を持って会いに行こう。
画家 榎並和春 HP http://www2.journey-k.com/~enami/

2007 個展に寄せて
「かぜのおとづれ3」おおさか     榎並和春

 「風の音」と書いて、「おと」とよむのか「ね」とよむのか、時と場合、雰囲気によって日本語は読み方が変わる。あやふやであるけれど、その方が言葉として生きている気がする。

世の中には確かなものの方が少ない。例えば「風」には姿がない。われわれは飛んで行く雲を見たり、木々の梢の音を聞いて、なんとなく「あぁ風が吹いているんだなぁ」と思う。遠い昔、風は鳥が運んだと考えたそうだ大いなる者からのおつげは風に乗って、ホトホトとカタコトと「音連れ」てやってきたそうだ。なるほど「おとづれる」とはそういった意味を含んでいたのか。

 自分というものも、実にあやふやでこころもとない。絵とか音楽とか文学というものは、この風のホトホト、カタコトに似ている。直接見えない自分というものを「おとづれた」かたちで見せたり聴かせたりしてくれる。

 さて、こんな「かぜのおとづれ」たちを色やかたちに置き換えました楽しんでもらえたら嬉しく思います。