桑枝切り鋏


「どこにも出ないぞ」とは言え犬の散歩には行かねばならない。でついでにはさみとカメラをポーチに入れて海へ。(手ぶらでは戻らないつもりのようだ)帰りの道ばたでくまの紐を腰にくくり両手を自由にして20本ほどの「ヤブマオ」を採取。葉っぱを落として、草で束ねて片手に持ち、いそいそと帰る。途中農作業を終えた村のおじさんに声をかけられた。

「それはなんですだぁーな?」
「ヤブマオ、やまおです」
「染め、しなるだかな?」
「皮をむいて糸を作るんです」
「ああ、そういえば戦時中はこの辺でも集めとったわ。。」

子供と年寄りだけの村人総出で「山苧.やまお」を集めて、今は廃校となった、赤崎小学校に集め、皮をむきまとめて軍事工場に送っていたと聞く。(軍事工場は表日本に集中していたらしいから、多分神戸か)その頃は大麻も、各農家の畑の一角で栽培されていて、それも集めて蒸して皮をむき集めて軍事工場に送ったそうだ。

養蚕が盛んだったこの土地には、共同の桑畑が有り、お蚕さんにあげる桑の葉をとった後のつるつるになった枝をその時期に切ってしまうのだそうだ。そうすれば来年また良い芽が伸びてくる。その枝を切り小学校に集め皮を剥くのは子供たちの仕事だったらしい。やはりそれも束ねられ、軍事工場に送られた。

「そのとき使った道具が有るわ、見せたろう」とおじさんは倉庫に入り、写真のはさみを見せてくれた。柄の長さは60~70cmくらい、歯は6cmくらいで、下の歯が丸くなっている。長い柄と変わった歯の形状で、子供の力でもさくっと切れそうな道具だ。写真を撮っていると、もう一人畑仕事を終えたおじさんが帰って来た。そういえば、ここは夕暮れになると、一仕事終えたおじさんがいつも集まって話しをしている場所だった。

さて、私はそろそろ帰るかな、とおじさんにさようならを言い歩き出す。
「なあ、かあかの木が、咲き出したなぁ。。」
「そうだなぁ。。。。。」
おじさんたちのの話し声が聞こえる。かあかの木、、そう、合歓の木のことだ。ふと山を見上げると、薄紅のほお紅のような花がぽつぽつ咲き始めている。もうじき、ほんのり良い香りが漂い始める。夏がくるのだ。

山苧は戦前にも採っていたのだろうかと聞くと、戦時中だけだったと思われるとの事。皮を剥いだ後の作業も産業としては残っていない。丹後とのつながりが深いこの土地では若い娘は織り手として丹後に奉公に出ていたと聞く。養蚕も盛んで、農家の大事な収入源だった。麻や木綿の着物は自家消費用に織られていただけなのだろう。

海で出会ったおじさん、村で出会ったおじさん、皆子供の頃山の上の小学校で、せっせと草を集め皮をむきお国のために働いていたのだ。折しも、海の向こうの国からミサイルが発射されたこの日、前の戦争の事を、ついこの前の事のように想った。