天女伝説と古墳


1月26日の誕生日は、朝早く倉吉に行き車を置いてスーパーはくとで大阪へ。遠回りなのですが、27日に絣教室へ行かねばならなかったので、帰りの事も考えて。お土産はやっぱり打吹団子でしょうということで、5本入りの小さいのを購入。久々の都会で人の多さに酔いながらも、百貨店の売り場でストールのバーゲンを物色あれこれ、結局定価の春物を購入してしまう。極薄のカシミヤのスカーフ。「織れるよなぁ。。。自分で」ま、そのうち。

ようやく9階のギャラリーに到着して春さんにご挨拶をする。早速お団子を味見された春さん「あんこだ。。。」ああ、そういえば普通お団子と言えばお餅だったか、、、これはあんこの中にお餅が入っているのでちょっと珍しい。天女伝説のお話が箱の中に書いてありますよと言ったのに、無かった様なのでここに書いておこう。

天女の羽衣伝説

昔むかし、舎人(とねり)という狩人が
水浴びをしている天女の羽衣を見つけ、
その美しい天女を妻にしようと羽衣を隠してしまいました。

天女は、浅津(あそづ)という名前を付けられ
泣く泣く舎人の妻となり、やがて月日が流れ
二人の可愛い娘『お倉とお吉』ができました。
天女はどうしても天の事が忘れられません。
とうとう娘達から羽衣の隠し場所を聞き出し、天女は空高く天へと帰ってしまいました。
残されたお倉とお吉は、くる日もくる日も母を呼び戻そうと近くの山へ登り
笛や太鼓を鳴らしましたが、ついに母を呼び戻す事はできませんでした。

この事から、その地名を二人の名前の
『倉吉(くらよし)』
「太鼓を打つ・笛を吹く」から、近くの山を
『打吹山(うつぶきやま)』
と呼ぶようになりました。
(打吹商事株式会社HPより)

東郷湖の海よりに羽合町というところがあって(合併により湯梨浜町)、子供のころ「日本のハワイが鳥取にあるんだぁ~」とかしょうもないことしか記憶に無かったのだけど、文字を見て羽衣伝説が有るだろうなと思っていた。ここには長瀬高浜遺跡というかなり大きな遺跡が有ったらしいが、開発の関係で大規模が移築されたらしい。移築された長瀬高浜復元1号墳は直径33m、高さ2m。埋葬施設は箱式石棺で、内部には148cmの熟年女性の遺骨が完全な形で残り、古事記のなかでヤマトタケルノミコトが使っていた「つづらさわまき」と同じ様式と思われる刀が絹帯を巻いた立派なさやにおさめられて副葬されていた。とある。元の場所は上下水道処理施設になっているらしくそばに移築したらしいが、何ともやるせない。
長瀬高浜遺跡
楽しい人生: 資料No28 長瀬高浜遺跡の概要

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