上垣守国養蚕記念館

年末になるといろいろ行っておきたい場所が有る。先週の土曜日に、今年一年お世話になったお醤油屋さんの奥様にお会いした。いろいろ悩み等も聞いて頂いていたら、すこし元気になった。お昼をごちそうになり、せっかく此処まで来たのだからと、以前より何度か行きそびれた「蚕の里」の有る大屋町に向った。上垣守国と云う方の生家が養蚕記念館として残されていてその側に交流館が新しく建てられているらしい。蚕の入った繭を茹でながら生糸を採る事はきっと私には出来ないだろうと、絹には近寄らずに居たけれど、そんな事言っていられないよ。。と、此処に来て思った。

1.上垣守国の「養蚕秘録」
 四方を山々に囲まれた養父市大屋町蔵垣地区は、養蚕の先駆者上垣守国の生誕地です。古くから但馬の国は養蚕が盛んでしたが、繭の品質が良くなく安い値段で取引されていました。そこで、上垣守国はより高度な技術を求め上州や奥州にまで出かけて技術習得に努め、蚕飼いの高い技術や新しい蚕種を但馬各地に広め、質の良い繭作りの普及に努めました。その実践をもとに享和2年(1802年)に養蚕の教科書とも言うべき「養蚕秘録」(上・中・下巻)を著しました。これは養蚕の歴史や桑の栽培、蚕の飼育方法などが絵図を使って分かりやすく描かれており、蚕の起源からその種類や伝説、飼育方法などを絵入りで解説しており、ドイツ人シーボルトの助手、オランダ人ホフマンによってフランス語訳されたほか、イタリア語にも翻訳され海外においても利用されました。(蚕糸絹業の里を訪ねてより)

ガラスケースにはフランス語訳された秘録の写しが展示されていた。その側には機が有り、小幅の布が織りかけで有った。私の住む村も、かつて蚕畑が有り殆どの農家では養蚕がされていたと聞く。麻や綿は、自家用に絹は農閑期の生活の糧になったのだろう。さて、私にまゆから糸がが引けるだろうか。。。染織家の志村ふくみさんが何かに書いていらっしゃった事、蚕の命と引き換えに、取り出される絹の糸を、祈りながら引くのだと言うことばを、思い出している。