なるようになるさ

つい、書きそびれていたのだけど、春さんの展示会でのこと。

お茶を頂いたテーブルの向こうに、自転車に乗った二人の絵が有った。この前の春さんのブログの散歩の写真を見てまたこの絵の事を思い出した。Que sera sera ケ・セラ・セラ なるようになる。自転車一緒にこいでいる二人、、それ、うちの事でもありだわ、、そう思ってました。言わなかったけど。

春さんの画は生で見なくちゃ。目を凝らしてじっと見つめながら、布を貼った「壁」にどんな風にその形が見えてきたのだろうと想像するのは楽しい。下地に貼られている布には、あれにもこれにも以前私が差し上げた麻の生地を使っていると教えてくださり、なんだかうれしくなる。今度「草の布」が出来たらぜひ使ってみてほしいと申し出ると、「全部塗りつぶされてしまいますよ」とおっしゃる。「それで良いのです」とわたし。

一番大きな画のそばには、左官屋さんの道具の様なコテと土(だったっけ?)が置いてあっった。左官職人のように土をこねながらコテを器用に操る姿を想像する。ご自宅のアトリエは日常生活の通路のまん中を占領していてトイレに行くにもそこを通らねばならないのだよとおっしゃっていた。今私が玄関で織をしているのと似ている。大きな作品を置くための別の広い場所が有るそうですがそこでは制作はされないのですかと尋ねると、そういう場所では書かないねえと。暮らしの中に有るからこそ書けるのだとおっしゃっていた。私も、物の置き場が無くて家から離れた場所にアトリエを構えようと右往左往していたが、いざそこに行っても何も始じめることができない自分に気がついて、無理を承知で半ば強引に玄関を占領している。此処に居ればちょいちょい人がやってくるし、珍しそうに眺めて行かれる人と、何でも無い会話を交わすことができる。何より、一番に見てほしい人がそこに居る。そんなささやかな事がきもちをふっくらとさせてもくれる。そんな暮らしに寄り添ったものを作り続けていきたい。

これから織ろうとしている布に、私、、わたしには何が見えて来るのだろう。

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